臨死体験の話(胡散臭い)

こんにちは。


今日はカメラの作例でもなく、音楽活動に関することでもなく、、、



4年前に体験した不思議な出来事について書いていこうと思います。(何故…)




最近始めたカメラの作例もいいのですが、写真や音楽以外にもそれなりに不思議な体験をこれまでたくさん経験してきたので、ごちゃごちゃになりそうですがせっかくなので僕を知ってもらうという意味でもシェアしていきます。




かなり、かなり長くなるのと、幽霊や宇宙人等の所謂不思議な話を(不思議なことではないのですが)信じない派の人はこの記事をみてもイライラするだけだと思うので、ブラウザバックを推奨します。


それ以外の人からしてもかなりぶっ飛んだ話になるので、暇な人だけ、ファンタジーのつもりで読んでもらえればと思います。(実話ですが)


さて、、、どこから書いたらいいのか、、難しいですが、




その体験は夢として処理するのが、人に説明する上では一番手っ取り早いです。



しかし、間違いなくそれは夢ではなく実際に経験したことでした。



その経験をした当時、僕は精神的にかなり疲弊していました。




どのくらい疲弊していたかというと、朝の仕事から帰ってきてや否や、幽体離脱でもしようかと思って実行したくらい疲弊していました。



幽体離脱の具体的な方法なんて知りませんでしたが、その日は方法を知っていたので、幽体離脱しはじめました。



その体験はあまりに気持ちよく、性行為の何十倍もの快感だったのを覚えています。(その後も何度かありました)



しかし、幽体離脱というのは大変危険な行為です。親からも絶対にするなと日頃から言われていましたが、その日は何かに憑かれていたのか(疲れていただけに)幽体離脱してしまいました。


しかし、身体から完全に離れる寸前で、守護霊である亡くなった大祖母に止められました。


確実にいま危なかったな、とおもいつつも、そのまま僕は昼寝を始めました。



そして、ここからが本番の臨死体験ですが、




実は、その日の出来事だったのか、後日の出来事だったのか、はっきりとわからないのです。


今覚えていないのではなくて、その当日もよくわからなかったです。










気づいた時には、僕はパーティー会場にいました。



僕はパーティに参加したことはありませんでしたが、テレビドラマなどでよく見るような所謂パーティ会場です。


そこには、老若男女、すごい数の人がいました。


テーブル毎に料理があって、活気がある雰囲気なのですが、何故かそのパーティ参加者は全員個別で参加している様子でした。


といっても、子連れの家族なんかはいて、そこはまとまって参加している様子でした。

いまでもはっきり覚えている景色は、僕に背中をむけた状態で30代後半くらいのサラリーマンが猫背で一人で立っていたことです。



そして何故かはっきりと理解しました。


ここは、死後の世界にいく途中の場所だと。




映画館の出入り口のようなおおきな扉が開きました。


そして女性でもない男性でもない案内人が大きな声?マイク?で言いました。


「おまたせしました。続いて、○△⬜︎〜▲⬛︎○までの方々、上にお上がりください」


なにやら番号のようなものを読み上げた。飛行機の搭乗前のような感じで、呼ばれた番号のようなものに該当した人たちがゾロゾロとその扉のほうに歩いて行きました。



そして、何故かその人達の表情がどんどん無になっていっているのに気がつきました。


見えていたわけではないのですがすぐに理解しました。
その扉の先はエレベーターになっていて、これから死へとむかう人たちを運んでいる様子でした。


パーティー会場は、生と死の中間地点。


子連れ家族は一家で事故に巻き込まれたのでしょうか。

猫背のサラリーマンは、仕事に疲弊して飛び込んでしまったのでしょうか。




僕は不安になり会場の出口を探すのですが、時間が経つにつれそこから抜け出す意欲がどんどん薄くなっていきました。





そして、とうとう僕も呼ばれたので、巨大なぎゅうぎゅうのエレベーターにのりこんでいきました。




どれだけの時間エレベーターに乗っていたのかわかりませんが、到着した先はドーム型の屋内庭園でした。↓こんなイメージ


拾い画なので小さいですすみません


圧迫されたエレベータをでた後のその空間は本当に気持ちよくて、マイナスイオンで溢れていました(マイナスイオンがいまいちわかりませんが、身体全身が喜んでいる感じ)。

たくさん花も咲いていて、とても穏やかな気持ちになっていました。


一列になって一本道を歩いていると、屋内庭園の中央部付近に辿り着きます。


中央部の方を遠めに覗くと、円形の石でできた、宙を浮くエレベーターがありました。

そこにも大勢の人、ではもうなくなっているのですが、魂が上に上がっていっている様子でした。


列に並んでいると、「最後の物販コーナー」みたいなブースがありました。


店員さんはおらず、どうやらその物販コーナーに入った人によって品揃えがかわるようでした。


その商品とは、生前そのひとが大切にしていた思い出の品です。


ある人は最愛の人からもらった財布。

ある人は大事にしていたバッグ。

ある人は、はじめての夜に使ったコンドーム(これ衝撃でした)。


お金はかからないのですが、大切にしていた度合いによって次回の人生に影響を及ぼしてしまったり、または生き残った人がその人を忘れられなかったり等、、


でも実際本当にそうなのか等、詳しくは教えてもらえませんでした。


そしてこの時に自覚したのですが、自身が死んでしまったことやエレベーターへ向かっていることなど、これまでなんとなくで理解していたことは、先ほどの受付の男性でも女性でもない人が頭に直接語りかけて解説していました。



僕の番が回ってきました。

僕は自己肯定感がすごく低くて、基本的に人から必要とされていない、忘れられてしまうと思ってしまう人間です。

僕に思い出の品なんてないだろうとおもっていました。

しかし、僕にもいくつか思い出の品があり、ほっとしたのをすごく覚えています。


何故かその品々が、なんだったか思い出せないのですが、「なるほど、たしかにそうやわ笑」と、自分でもすごく納得しました。


こういった感情を普段生きていても何度か抱いたことがあるので、その時に改めて今自分(人間の僕)はこの空間でこの時間を経験していると確信しました。



大事な品々を一度手に取り思い出に馳せましたが、僕は物販コーナーで何も買わずに去りました。



天空エレベーター(勝手に名付けた)は、FFとか(あんまりやったことないけど)RPGゲームにありそうな見た目で、僕は早い段階でそこに乗りました。

一定の数の魂が乗ると、エレベーターは上に上がっていきました。



その時に、いろいろなことに気づきました。


まず、1つ目。


自分がもうすでに人ではなくなっていること。


いわゆる火の玉みたいなかんじで、青い光になっていることに気づきました。



2つ目。

自分は、今の中山大之(本名)という人間になる前にも何度か人生を経験していたことを思い出しました。

あくまで中山大之は仮の姿で、自分の一つの分身に過ぎなかったのです。


健在意識と潜在意識、という単語をよく耳にしますが、潜在意識が僕の本当の正体でした。健在意識は、遊びのためにプログラムしたもう一つの要素だったのです。

(スピリチュアルな本とかは読まないので、界隈的に正しいのかはわかりません。し、正しいかどうかを考えることは意味がありません。)


3つ目。


時間という概念は存在しなかったことを思い出しました。
過去と未来はなく全ての出来事は同時に起こっていました。


4つ目。


他人と自分、という感覚がどんどんなくなっていきました。


集合意識に近づいている感覚です。


どんどんエレベーターが上に上がっていくにつれて、気持ちよくなってきました。



それなりに人生楽しんだなぁと思いながら上に上がっているのですが、その時、また案内人の声が聴こえてきました。


「みなさま、おつかれさまでした。これから皆様には大切な人たちにお別れを告げる”時間”を与えます。”時間”それぞれ長さが違います。」


その与えられた時間(人間界単位の)は生前に戻ることができ、その間に大事な人に別れを告げられる、というものでした。

45秒の人もいれば、一週間ほど猶予をもらった魂もいました。


僕は、明確には覚えていませんが、数字が生前縁のあるものだったので、たしか15分24秒とか、そんな感じでした。(15と24が縁のある数字です)


目が醒めると、

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