暗闇の中でもがいていたワタシが光を求めに社会に出た時の初心を振り返る
酒場メディアを主宰しているワタシですが、あのキリンさんがnote上で
#社会人1年目の私へ という企画を打ち出されたのを見てふとその時の初心を振り返ってみたくなった。
順風満帆だと思ってた大学時代からの迷走
ワタシが立教大学(中学-高校-大学とエスカレータ人生)を卒業したのが1998年3月。横浜ベイスターズが日本一になったり、フランスW杯にサッカー日本代表が初めて出場したり、そんな頃。
で、ワタシが初めて就職したのが2003年の11月。
ちなみに2003年といえばこんな年。
2003年卒 0.52 ← 就職内定率過去最悪最凶年 55.1%
※Naverまとめ参照
そう、丸5年以上社会に出てなかったのです・・・
実家が印刷会社を経営してたこともあり、経営者の父親の背中を見て育ってた割とすねかじりな次男だったワタシは、「サラリーマンにならなくていい、自分で稼げるようになったほうがいい」と言われたことを鵜呑みにし
「そうだ、税理士とかだと町の人とワイワイしたり先生言われるし儲かりそうだしいいぞ!」って思って4年生になってからESをすべて同級生の女子に配りまくって税理士のWスクールに通ったのでした・・・
そして大学を卒業し・・・まだ学生のワタシは同級生が大企業で働いてる話や合コンいったとか、ゴルフ覚えたとか旅行行ってるとかの話を横目に、
毎日朝9時から夜9時まで専門学校の中で勉強・勉強・勉強・・・
やがて1年が過ぎ、、2年が過ぎ、、、3年が過ぎ・・・先が見えない闇に突入していました。。。
この間、お酒を飲んだ機会は3年間で2,3回。。ストレスで体重が68kg→98kgと30kg激太り。
Wスクール行ってるくらいかな、当時の水道橋界隈ではフリー雀荘がいっぱいあり息抜き程度に麻雀を打っていたのが、気づけば朝9時に専門学校、昼の2時には雀荘にいて戻るときもあるけど戻らず夜まで打つ日も多々有り。。
※ただ、この雀荘時代にいくつもの出会いがあり今も縁ある人が5,6人いるので一概に悪かったとも思っておらずw
もう底辺まっしぐらでした。
自分の置かれた崖っぷちに気づいた2002年
で、最終的に4回目の試験で5科目受からなかったことを機に、「もう社会に出たい、就職しないともっとダメになりそうだ・・・」と決意し、そこから8ヶ月くらいは
・当時、相談していた税理士の先生から「いまはIT業界が伸びてていいんじゃない?」と言われたことをそのまま受け取り、ではIT業界に行くためにWebスクールに通おうと決意。
・スクール代を稼ぐために日雇い系の倉庫アルバイトやったり、通販ヘルプデスクのクレーム受け付けやったりしてた
・98kgのカラダをどうにかするために、走ったりジム行ったりして半年で15kg減。
2002年当時のIT業界をよく調べてみるとバブルが弾けて一番苦境だった時代が2002年という・・・情弱だった自分の怖さ。。。
Webスクールでは、HTML・CSSやったり、PerlやPHP、Javaといった言語の授業も受けたりDreamweaverとかWeb系の授業もまとめて受けたのだが・・・結果としては何があってるのかわからず混乱するだけだった。。
で、最終的にはWord/ExcelのMS資格を1ヶ月で取って就活を開始。
28歳で就職未経験のフリーターが、就職氷河期真っ只中の2003年にハローワークに通って就活してる姿は、なかなか笑えないものがあります。。
結局、10数社のIT企業(いまでいうブラックSESなIT土方)で面談してもらい
3社受かったなかから、「未経験でもやる気があるなら、ウチは歓迎する!」的なことをそこの社長だか専務だかに言われて「じゃあ、いいか」
と思ってそこの会社に入社。
一周回ってサラリーマンになっちゃった。
そして社会人1年目のスタート
そのIT会社は、社長がデザイナーで専務がSES営業、都内のマンションの一室に会社がありちょっと薄暗いその部屋に研修ルームがあるという、よくあるブラック感醸し出すIT土方企業でした。
当時、ワタシとほぼ同じくして年も同じの中途入社の社員がいて(なんとこの人とはその後10数年に渡り、つきあってくことになるのだが)、2人で社員の方から出される課題をVisual Studioで実装したり、参考書で用語から学習しながら常駐先の面談を受けたりしてました。
そしたら、ある日専務から「明日から2人でここ行ってくれ」と言われた先は、都内にある人材派遣会社でした。
あれ、常駐先は?ITの現場じゃないの?
じつは、そこの会社は専務の知り合いがお偉いさんをやってる会社で
人材情報のDB管理とかをExcel/Accessでやるのに人手が足りないから手伝ってほしい、ということで急遽送り込まれたらしく(てか、バイト!?)
しかも、ワタシACCESS当時触ったこともほぼないのに、行ってみたら
「ACCESSできるんですよね?この資料見てDB作成してください」と無茶ぶり・・・
や・やべえ・・・でもやらねえといけないのか・・・
机と足の間にACCESSの参考書置きながら、社員にばれないように見よう見まねでDBを作っていく。。カンニングしてるような気分でしたが、なんとか乗り切ったときは「ITってこんなんでいいのか?」ってよくわからない気分になり。。
しかも、その会社人材派遣の会社でワタシの作業場の横では量販店とかイベントのアルバイト面談とか手配の打ち合わせしていて、気づくとなぜかワタシがアルバイト面談同席してた・・・今思ってもあれは意味わからなかったw
IT業界を肌で感じた社会人1年目
さて、そんなアルバイト的社員生活は2週間ほどでした。並行して面談を受けていたのですが、なんとか某SIerのサポートデスク業務に滑り込めることになりいよいよ現場デビューです。
ただここには条件がありまして。。
当時、経歴も実力も空っぽだったワタシは、面談だけはなんとなく乗り切れてしまってましてSIer責任者面談まで辿り着いてしまい。
この責任者の課長さんはなかなかやり手の厳しめな方で、「面談受かった候補があなただけだし、スキルないのが不安だけど一旦採用します。ただし、しばらく猶予期間として見習い扱いとします」
ということで、のっけから緊張感MAXの現場スタート。
入った当時が年の瀬も迫った12月下旬でして、現場入った翌日に忘年会に参加するというもはやギャグ。(私だけ忘年するほど何もしてないやつはいない)気軽に飲み会参加する習性って変わらないものですw
しかし、仕事を早く覚えないといけないので自分の仕事であろうがなかろうが、手が出せそうなものは手を動かすことにし、猫の手でも借りたい休日対応には必死で食らいつくように出社する。クリスマスイブもクリスマスも出社して雑用でもなんでもやって、何とか見習いを脱出できるようになりました。。
そうこうしてるうちに、がむしゃらに半年が経つようになるとサポートデスクの窓口対応もある程度こなせるようになり、周りの話しているサーバ・NW用語も理解できるようになって、このくらいでようやくクライアント先で居場所が作れてきたかな、と実感しました。
でも、その一方で見ていたのは5年も10年も同じクライアント先にいる方がいっぱいいたのですが、自分に理解が増えるほどそこに違和感を感じてきて・・・
直感的に思っていたのは、「この現場、あんまり長居しすぎるところではないかもしれない。次につなげる仕事につくとか人のつながり作ってかないとやばいな」でした。
あ、そうそう。未経験で入った会社の最初の給料、いわゆる初任給ですが
12万円。
しかも社保加入してない会社だったので、ここから国民年金と保険料支払ってましたw
3ヶ月たって額面が17万になって、1年経って額面が21万になって。。
でも、相変わらず社保加入されない会社・・・
当時専務にも「なんでウチの会社、社保加入してくれないんですか?」と話したこともあったが、有耶無耶にされましたね。。
てか、現場もだけど自分の会社もやばいんじゃない?
ということで、このあと出会った別会社の役員さんのお声がけもあり入社して1年余りで最初の会社を退職することになりました。
退職にあたってのトラブルエピソードも満載ですが、ここでは割愛します。
気になる方は飲みの場でどうぞw
最後に・・・当時の社会人1年目の私へ
とりあえず、周りが就職氷河期だろうが経験がまったくなくて底辺だろうが
与えられた場を懸命にこなし、ただこなすだけじゃなくて周りをよく見ていればその場その場の選択肢が見えてくるはず。
でも、もっと技術に貪欲に進んでたら違った未来が描かれたかもしれないけど、その生き方は生き方で人との出会いに事欠かない面白い未来が待ってるから2年目(2社目)も頑張ってね!
あと、好き勝手に生きても底辺にいても、這い上がってきても暖かく見守ってくれた両親にはマジ感謝しかないよ!
キリンさん・・・社会人1年目エピソードってこんなんでいいのでしょうか。。。
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