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なくなってはじめて分かる大事な家

広々として穏やかに流れる隅田川を見ながら生まれてからずっと育まれてきたワタシにとって、家を借りるという行為は日常的ではなかったしその必要もなかった。

なぜなら行動・生活することにおいて必然性がまったくなかったから。

JRも東京メトロも通ってる錦糸町駅から徒歩圏内の実家。
新宿も渋谷も乗換なし、池袋は車で行けば20分、上野は徒歩w
住まいと工場入れて100坪あったその家で、自分の部屋は12畳あまり。
その当時は自分で言うのも何だが「普通より少しいいトコの子供」でした。

まあ大学入っても一人暮らししようかな、って気もおきなかったんですよね。家のクルマで大学行ってたくらいだし。バイトしてたけど服に金使いまくってたから。。

ただ、大学卒業しても就職してなかったから今度は逆に一人暮らしできる身分でもなかったため、便利な実家に根を張ってる「稼ぎのないすねかじり息子」に変身してしまうという。。

それが、2000年前半に入り生活環境にも少しづつ変化がでてきて稼ぎのないすねかじり息子だったワタシも、「苦境の実家に少しづつ貢献する次男」へ
少し成長しました。

そうこうして、世界中で”リーマンショック”と呼ばれる恐慌が起きた2008年
頃我が家にもその余波が・・・

2008年10月 実家 倒産


実家がなくなりました。

そうして始まりました。はじめての家探し。

いろいろモニョモニョあって、翌年2009年6月には明け渡さないといけず。

実はこのときには、「家計を支える世帯主の次男」に昇格していたため
父・母・愛猫が一緒に住める場所を探すという、はじめての家探しにしては相当ハードなミッション。このとき愛猫20歳(人間でいうと80歳超え?)

しかもこの間、#はじめての弁護士案件 も体験しているという中で。。

はじめて借りる物件が3LDK以上とか、もはや何が必要かもよくわからなかったけど、失意の両親と愛猫の要望を聞きながら探してた物件が

・友達もいるし隅田川の近辺から離れたくない=墨田区・江東区・台東区

・エレベーターないと足腰辛い

・駐車場付き

予算が15万でこの物件は皆無・・・


さて・・・

どうなったでしょうか・・・


結論としては、『はじめて借りました』

住宅ローンを。


物件は

隅田川がつながっている江東区東陽町エリア

少し歩けば大きな木場公園もあって緑の絶えない住みやすさ

駐車場も近隣に配備

猫も快適、エレベータのいらない一軒家

見事に条件クリア!


しかも敷金・礼金ゼロ。重要事項から事故物件感を発見し減額にも成功。


#はじめて借りたあの部屋  にかかった初期費用

頭金 800万

払い続ける家賃 

35年

家族の安心した笑顔

プライスレス


長年住み慣れた家を急に引越したので、20歳を超える愛猫が心配でしたが
このあと3年あまりも元気に生き続けてくれたのも良かったし、40年続けた家業がダメになり肩を落としてた両親もなんとか普通に生活できる元気を取り戻してくれたので、安堵しかなかった思い出があります。

そして、これまでなんの気兼ねもなく大きな家に住み続けてた自分が突然世帯主になって家族を支える立場になり、はじめて”家のもつ重要性”を感じたのもこのタイミングだったのではないでしょうか。

今は、ワタシは浅草雷門に一人暮らし、両親は変わらず新しい実家に住み続けており生活は別れていますが、実家を守ってくれてるありがたさはかわらないんだなあとこのnoteを書きながら実感してます。


遠く沖縄の地より…


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