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ブラッディ・マリーと酒飲み人生全盛期の終焉

2000年9月5日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。
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ここ最近、めっきり酒に弱くなってきた。

先日、或るカメラマンと韓国風居酒屋に行って、ビール大瓶3本とJINROを半本ぐらい飲んだだけなのに、翌日は少ししんどかった。昔はこんな分量、飲んだ内には入らなかったのだが・・・。

単にその夜は体調が悪かっただけかもしれない・・・。

こんな事ではアカン! 立派なプロレス・ファン、ロック・ファンである以上はこんな事ではアカン!、と思いつつも、忍び寄る老化現象には勝てない。

ただ自慢(?)は悪い酒にはならない事。人にはからまない事。この程度の礼儀は立派なプロレス・ファン、ロック・ファンである以上守るべきだと思っている。

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パリに住んでいた頃、オペラ座の近所の “Harry's New York Bar / ハリーズ・ニューヨークバー” によく飲みに行った。

オペラ座からセーヌ河方向へ大通りを南に下る。二つ目の角を右に曲るとドヌー通りという小さな通りがあり、ハリーズ・ニューヨークバーはその角から曲がって20メートルぐらいのところにある。

なんでもそこはブラッディ・マリー発祥のバーらしい。だから行くと必ずブラッディ・マリーを飲んだ。

ブラッディ・マリー:由来
16世紀のイングランド女王、メアリー1世の異名に由来するといわれている。メアリーは即位後300人にも及ぶプロテスタントを処刑したことから、「血まみれメアリー」(Bloody Mary) と呼ばれ恐れられていた。このカクテルは、トマトジュースの色と粘性を血液にみたてて、「ブラッディ・メアリー」の名がついたといわれている。

色々と面白い歴史のあるバーだが、 ここで詳しく説明するのは面倒臭いからカットする。

ちょっとだけ説明すると、第二次世界大戦中、パリ解放へと進軍する連合軍と一緒にパリにやって来た写真家、ロバート・キャパもハリーズ・ニューヨークバーでよく飲んでいたらしい。

ついでに書いておくが、キャパが当時宿泊していたのは、ハリーズ・ニューヨークバーからすぐ近くのHotel Scribe / ホテル・スクリーブみたいだ。

ブラッディ・マリーや他のカクテルを飲み過ぎてご機嫌になり、フランス人やアメリカ人の酔っぱらい達と一緒に、灰皿をフリスビー代わりにして投げて遊んだ事もある。但し、バーの名誉の為に書いておくが、そんな阿呆な事をする連中ばかりが飲みに来るバーではない。

ハリーズ・ニューヨークバーでブラッディ・マリーを飲み、騒いでいた頃、30代半ばの頃が酒飲み人生の全盛期だったような気がする。

ラウンド・ミッドナイト

一人で酒を飲みながら夜更かししている時、ふと、「あぁ~っ」とため息が出て、あの頃のように元気で陽気に沢山酒が飲みたいなぁ~、と過ぎし日を振り返って、感傷的になってしまう時がある。

そんな時に頭の中で微かに鳴り始まる曲が《Perfect Circle / パーフェクト・サークル》。R.E.M. のアルバム『Murmur / マーマー』の6曲目に収録されている。

このアルバムの中では最初の《Radio Free Europe / ラジオ・フリー・ヨーロッパ》が一番有名な曲だが、まるで耳元で語りかけるようなヴォーカルから始まる《Perfect Circle / パーフェクト・サークル》が好きだ。抑制の効いた静けさが素晴らしく、何か懐かしい古の感覚が少しづつ心の奥底に沈殿するような気がする。

しかし酒を飲んで己の老化度を知るのは寂しいなぁ…

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