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Dexter Gordon / Our Man In Paris

Our Man In Paris / 1963

2004年8月30日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================

かつてアーニー・ラッドというプロレスラーがいた。

60年代初頭から70年代半ばにかけて五大湖地区を主戦場とした身長206cmの巨体を誇るアメリカンフットボール出身の大型黒人レスラーだった。その長い手足からアーニー・ラッドは “黒い毒グモ”と呼ばれていた。

身長196cm。長身で手足の長いデクスター・ゴードンの写真を見た時、とっさに思い出したのはアーニー・ラッドだった。

アーニー・ラッドは恵まれた身体を持て余したのか、それとも単なる怠慢か、はたまたアメリカンフットボール出身というキャリアが邪魔をしたのか、レスラーとしてはそれ程大成しなかった。

デクスター・ゴードンは年齢的に一番脂の乗っていた時期、50年代を麻薬中毒で棒に振り、ニューヨークのジャズ・シーンに再び浮上したのは1961年になってからだ。ゴードンにカムバックの手を差し伸べたのは、ブルーノートの創設者、アルフレッド・ライオン。

アルフレッド・ライオンは将来性のある成長途上の若手又は中堅ミュージシャンを中心にレコーディングしていただけに、既に大物としての貫禄が漂うデクスター・ゴードンの起用は珍しいケースだ。

しかしニューヨークで復帰した後、デクスター・ゴードンはヨーロッパでの仕事を引き受け、1962年の後半には活動の拠点をデンマークやフランスに移す。そしてビバップ時代の朋友、ケニー・クラーク(ドラム)やバド・パウエル(ピアノ) とパリで再会することになる。

このアルバム『Our Man In Paris』はそんな時期にパリで収録された作品で、ブルーノートでは通算五作目に当たる。バックには気心知れたケニー・クラーク、バド・パウエルが参加し、ベースはフランス人のピエール・ミシェロが弾いている。

年齢的にはピークを過ぎた頃の作品だが、ここでもデクスターはゴリゴリ・バリバリと極太の男性的なテナーを吹きまくっている。ほぼ同時期のもう一枚の名作『Go』もいいが、こちらの方が音が太くてのびやか。それに手慣れたスタンダード・ナンバーやビバップの名曲が中心なだけに、ノリも良 く、全体に堂々とした風格が感じられる。

一曲目の《Scrapple from the Apple》から超有名的 《Night in Tunisia》まで、デクスター・ゴードンの存在感のあるテナーが楽しめる。音楽的に目新しいこと、理屈っぽいことは一切なしの潔さ。ゴードンはただひたすら朗々とサックスを吹くのみ。

アーニー・ラッドのイメージからか、それとも豪放磊落なテナー・サウンドからか、私の中ではデクスター・ゴードンは喧嘩をさせたら一番強いサックス・プレイヤーと位置づけられている。その次に強そうなのがジーン・アモンズやスタンリー・タレンタインあたりだろうか。

デクスター・ゴードン。名前からしてジャズ・マンらしい。デクスター・ゴードン。名前からして男らしい。デクスター・ゴードン。名前からして強そうだ。

And More...

Go

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