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振り返り

卒業式まであと2週間を切ってしまい、最後の期末試験も来週に控えているのだが、どうも勉強する気になれないので、気分転換にこれまでの留学生活を振り返ろうと思う。僕は今の大学院に来て本当に良かったと心の底から思っているのだが、元々この大学院に来たいと思ったのには主に以下のような理由があった。

1. ニューヨークに位置していること

現在通っている類の大学院だとアメリカ国内でもいくつか候補があり、例えばボストン、ワシントンDC、カリフォルニアなどに位置している。僕の場合は完全にミーハーで、幼いころからハリウッドの映画に出てくるニューヨークの街に憧れ(グランドセントラルのプラットフォームではカリートの道を思い出した)、またニューヨークを舞台に成功していった有名人のストーリーに憧れ(タイムズスクエアではマドンナを思い出した)、出来るものならニューヨークに住んでみたいとずっと思っていた。また、ニューヨークはウォールストリートなどのビジネス街や国連、財団、シンクタンクなど様々な業種の人が集まってきており、ネットワーキングをするにも最高の場所と言えた。特に日系アメリカ人の方のコミュニティにも参加をさせてもらい交流できたことは財産となった。他にも野球(ヤンキースファンだったので最高)やミュージカル(この間初めてキンキーブーツを観て感動した)、ジャズ、オペラ、ニューヨークフィルなどエンターテイメントも非常に充実している。何より、ニューヨークに住んでいる人たちのエネルギーは圧倒されるほど強く、これまで訪れたことのあるどの都市にもニューヨークほどのエネルギーを感じることはなかった。

2. 専攻分野に強みがあったこと

僕は主に大学院で経済を専攻しているのだが、通っているコロンビア大学は経済に比較的強みを有している。これは結構大事で、様々な大学院があるのだが、それぞれに得意としている分野が違う。僕の場合は折角なら経済を得意としている大学院で勉強したいと思っていたのだが、コロンビアは予想以上にその機会を提供してくれた。元々経済のバックグラウンドがあったわけではないので、授業についていくのが大変だったのだが、必修科目の教授が丁寧に教えてくれ、また選択科目を受講するようになってからも非常に幅広い経済の分野の授業が提供され、大変勉強になった。教授陣もコロンビア全体だとノーベル賞を取ったJoseph Stiglitz教授や開発の分野で有名なJeffrey Sachs教授の授業や講演を聴く機会もあり、また卒業プロジェクトの担当教官だったRichard Clarida教授は今回アメリカの中央銀行であるFEDのナンバー2にノミネートされた。その他にもひとつ前の代のアメリカの財務長官だったJacob Lew教授やFED NYでナンバー2を務めていたCristine Cumming教授など今振り返ってみると本当に豪華なメンバーに教えてもらったなと思う。授業で学ぶ理論などもさることながら、各教授のこれまでの経験談を聴くのも大変良い勉強となった。

3. 日本研究が盛んだったこと

コロンビアには昔から様々な分野で日本研究を手掛ける教授が在籍していることで知られており、僕は折角ならアメリカから日本をよく学んでみたいと考えていた。経済の分野ではHugh Patrick教授や伊藤隆俊教授、David Weinstein教授、政治の分野ではGerald Curtis教授や彦谷貴子教授、歴史の分野ではCarol Gluck教授など、それぞれの分野の第一人者が在籍していて、主に学生団体の活動を通してこれらの教授と少人数のセッションを実施し、議論をすることが出来たのは大変良い経験となった。特に歴史研究で有名なCarol Gluck教授とNewsweek誌が実施した第二次世界大戦の記憶についてのセッションに参加をしたのはとてもeye-openingだった(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/03/post-9829.php)。授業でもJapanese EconomyとJapanese Politicsを受講したのだが、例えば、失われた20年と呼ばれる経済停滞がどうして起こり、どう解決すべきだったか、また戦後ずっと強い野党が現れなかったのはどうしてかなどを、改めて英語で書かれた文献とともに考えるのは貴重な経験となった。

上記のように良いことばかりだったのだが、僕の通っている公共政策大学院には例えば専門性が身に付きにくいといった批判が寄せられることもある。例えば経済の分野であれば経済学の修士号を取ってそのまま経済学のPhD(博士号)に進むほうが専門性は身に着くかもしれない。経済以外の他の分野にも言えることで、これは一定の事実を含んでいると思うのだが、一方で公共政策大学院からの視点でメリットを述べると、僕はその柔軟性にあると思う。大学院に今通っている大体の世代は所謂ミレニアム世代でアメリカでは平均すると3年に1回は仕事を変えると言われている。良く言うとcurious、悪く言うとimpatientなのかもしれないが、これは好き嫌いに関わらず事実として起こっていることで、おそらくこのまましばらくは続くトレンドなのだろう。学生も当然在学中の2年間で興味が分散するのだが、僕の通っている大学院にはその分散し続ける(あるいは拡大し続ける)興味を包容するだけの、様々なコースやリソースが用意されていた。

僕も興味が思いっきり拡散するミーハータイプなのだが、今の大学院に通っていたおかげで、関心の湧いてきた分野の授業やイベントに自由に参加することができ、退屈することなく2年間を終えることができた。例えば同じ大学院の中に経済以外にも安全保障、人権、開発、都市・社会政策など様々な専攻があり、またコロンビア全体で見た際にはビジネススクールやロースクール、ジャーナリズムスクールなどもある為、かなり広い範囲の授業を受講することが出来る環境にあった。これは少々美化すると、interdisciplinaryやantidisciplinaryを追及しやすい環境にあるとも言えるだろう。また、公共政策大学院は主に実務家養成を目的としているのだが、これも研究より実務家として活躍したい自分にとっては非常に良い環境だったと言える。現在も実務家として活躍している教授が、週に1回大学に教えにくるというのもよくあるパターンだった。この柔軟な思考をある程度保ったまま好きなだけ勉強できる環境というのは、practice over theoryやcompass over maps、そして learning over educationを実践したいと考えていた僕のような学生にとっては理想的な環境だったと思う。

とは言え、これはいつも割と楽観的な僕の意見であり、同じ大学院生でも別の意見もあるのだろうと思う。ただ、こういう節目にさしかかって何かを振り返って感想を言う時に思うのが、結局は人によって同じ機会を与えられていても感じ方は違うということである。この2年間で問題はこれでもかという程起こるし、授業料は高いし、色々不満が募ることも多かったのだが、それ以上にそういう問題にぶつかりながらもどうやってtake a hit and move onの精神で前に進んでいくのかを身をもって学ぶことが出来た。また何より学生生活には時間の制約が伴うものなのだが、「偉大なことを成し遂げるには計画と不十分な時間が必要だ」というバーンスタインの名言を心に留めて、(偉大なことは全く何もしていないのだが)、時間の制約の中で何とかしようと知恵を絞りだすことが出来たのも大きな学びだったと思う。一度振り返り始めると色々と浮かんでくることがあるのだが、卒業する時には何かまとめた文章を書こうと思っているので今回はこれぐらいで。

(写真は春めいてきた、卒業式の準備中のキャンパス)


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