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「男だから、女だから、」を無くすなら、関わる人の断捨離が必要。

「お前は男だから……」「もっと女らしくしなさい……」「日本人なら……」

これらは「ステレオタイプ」と呼ばれる先入観、思い込みです。


今、「私をステレオタイプに縛るな!」という主張が増えています。でも、僕たちが本当にステレオタイプを無くすとしたら、まずは人間関係の断捨離が必要です。

ステレオタイプはなぜ生まれたのか?

そもそも僕たち人間は、なんでステレオタイプなんてものを持っているのでしょうか?偏見なんかない方が生きやすいように感じます。

人間は進化の過程で「言語」を獲得しました。言語のおかげで、実際に目の前で起こっている情報以外に、「時間」や「場所」にとらわれない情報の伝達が出来るようになります。

たとえば「昨日、あっちの方でAとBが喧嘩したらしいぜ」とか「向こうの川でDが明日釣りをするらしい」とかです。

この時期にはまだステレオタイプは存在せず、あくまで一人ひとりの人間は、その人の過去から現在までの情報の蓄積として認識されていました。つまり、その人の生き様がその人そのものだった時代です。

この時代の人間関係は、いわば「すごく親密な」人間関係です。一人ひとりの人間性がお互いにしっかりと認識されている状態でした。

ですが、この親密な人間関係はものすごく脳に負担をかけます。僕たちの脳は新皮質という部分でこの人間関係を作るのですが、そのキャパシティがだいたい150人程度。この数を超えるとそれ以上の人とは親密な関係性を築けなくなり、結果社会としても崩壊していきます。

そんな人間の脳の限界を超えさせたのが「ステレオタイプ」でした。

ステレオタイプの一番最初の形は「神話」でした。同じ神話を信じているということは、思考体系も同じものに根ざしています。「あの人の事はよく知らないけれど、キリスト教の信者であるならばこの関わり方が通用するだろ」といった具合です。

「お互いが同じ思考体系でものを考えている」という前提があると、一人ひとりをしっかりと認識しなくても関係性を築けるようになります。

さらに、人間の脳は経験によって学習をします。だから例えば「男性Aは力持ち」「男性Bも力持ち」「男性Cも力持ち」となるので、「男性は力持ち」というイメージが出来上がります。

この共通のイメージがあるので、初めて会った人でも「あの人は男性だから、こう接すればいい」とスムーズに人間関係を作ることが出来るようになりました。

つまり、ステレオタイプとは人間が効率的に多くの人とスムーズな人間関係を作るための手段だったんです。


ステレオタイプで見てほしくないなら、関わる人間を減らすしかない

もし僕たちがステレオタイプを捨てるんだとしたら、それは「一人ひとりと深く関わって、偏見ではなくその人自身のあり方で人を判断する」しかありません。

ですが、それは同時にステレオタイプがもたらした「効率的にたくさんの人と関われる」という能力を捨てる事を意味します。人間の新皮質の限界である150人程度の人と深く関わる。ステレオタイプを捨てるっていうのはそういうことです。

だから、もしステレオタイプを捨てた関わり方をしたいなら、みんな人間関係を断捨離する必要があります。不要な関係性を捨てて、関わりたい人とだけ関わっていく。

でも、これって「男だから、女だから、と括って欲しくない」と主張する人たちの求めるゴールとはちょっと違う気がします。

理想のゴールはどこなのか?これからもみんなで考え続けなければいけないですね。

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