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バレリーナ・森下洋子という生き方

 世界中にたくさんのバレエダンサーは存在するが、そのダンサーのほとんどは肉体的な衰えを主な理由として、四十歳前後で引退する。
 稀に五十歳になっても第一線で活躍を続けるダンサーもいるにはいたが、それでもこの五十歳前後を最後に引退しているダンサーがほとんどである。
 役や踊りの解釈は年を増す毎にどんどん深まり、若い頃よりも素晴らしいキャラクター作りが出来るようになり、まさにこれからが本領発揮というところだが、皮肉なことに踊るための肉体や精神力といったものは衰えていくのだから、バレエダンサーとは本当に儚い定めである。

 そんな中、一九七四年「ヴァルナ国際バレエコンクール」で日本人初の金賞を受賞し「東洋の真珠」と讃えられ、世界中のさまざまなバレエ団からの熱烈なオファーをすべて断り、松山バレエ団に入団後、日本のバレエ界を牽引し続けてきたバレリーナ・森下洋子は現在七十五歳。舞踊歴七十二年を迎えた現在でも、在籍している松山バレエ団のプリマバレリーナとして主役を務めている。

 私が初めて森下さんをテレビで観たのは、確か二〇〇一年頃だったと記憶している。NHKで「にんげんドキュメント」 という番組が放送されていたが、そこで森下さんを特集した回「ずっと輝いていたい~バレリーナ・森下洋子~」を偶然観たのだった。

 森下さんは当時五十二歳。ちょうど、舞踊歴五十年を迎える年にあたり「ロミオとジュリエット」でジュリエット役を演じる森下さんの稽古風景に密着した内容だった。そこで私はバレリーナ・ 森下洋子の健気で一途な、そして、どこまでも謙虚な人柄を見せつけられたのである。
 こう書くと、ご本人はきっとそんなつもりは全くないと笑って否定されるか、「そんなこと当たり前のことでしょう?」と逆に問いかけられそうだが、私にはこの森下さんの一途で健気な人柄がその踊りに込められている、滲み出ているのだと見ていて胸が熱くなったのを昨日のことのように覚えている。

 一般的に言われるバレエダンサーのピークは大体が三十歳前後と言われる中、先にも書いたが森下さんはこの時既に五十二歳。「白鳥の湖」の中で黒鳥を演じた際、相手役の男性ダンサーとそのテクニックを競い合う場面で、片足でくるくると何回も回る高度な技である「グランフェッテ」を切れ味の良いスピーディーな回転としなやかさで、鮮やかに披露していた姿を観て、「常識とは何だろう?」「ピークとは何だろう?」と考えさせられたものだった。  

 森下さんのその踊りには、どこも衰えというものが見当たらなかったからである。その森下さんの踊りを支えていたのは、森下さん自身の徹底した節制によるものだった。とにかくバレエを踊る。それ以外のことを全て手放すことによってエネルギーの消耗を抑え、踊れる身体を維持する。そんな生活を続けることで五十二歳を迎えても、森下さんはバレリーナとして輝き続けていたのである。

 それから早や、二十三年が経ってしまった。月日は夢のように過ぎ去ってしまったのである。この二十三年の間に、森下さんが「限界」という言葉を使わなかったとしても、怪我や病気で踊りをやめてしまっていたかもしれない。二十三年とはそんな長い年月であるけれども、森下さんは五十二歳の時まで続けてきた生活をさらに二十三年続けて、七十五歳を迎えた現在も、幸運にも大きな怪我や病気をすることもなく、一途に踊り続けてこれたのである。

 私は感動した。どの業界にも、器用にいろいろなことを本職の他にやっている人はたくさんいるが、私はそういう人は好きではない。理由はないが、とにかく好きではないのである。また、片手間にはできないことが世の中にはあるし、片手間でやってはならないこともある。そして、片手間ではやりたくないと思う潔癖な人間もいるのである。森下さんはまさにそんな女性であった。

 森下さん自身がインタビューで答えていたが、自分は天才などではない。むしろ凡人で、一度ではマスターできず、何度も稽古を重ねなければできなかった、酷く不器用だったと話されていた。しかし、何度もやれば人通り、他の人と同じ様に(結果、他の人以上に上達し)言い換えれば、他の人より何倍もの努力を重ねることができたという意味では、森下さんは「天才」なのである。

 先日、念願叶って二十三年越しに森下さんの、新「白鳥の湖」をオーチャードホールで観る機会を得た。初めて訪れた会場だったが、箱が素晴らしく良かったせいか、私は三階席の真ん中からステージを見下した。思ったよりも遠くはなく、オペラグラスを覗けば森下さんの踊っている時の表情すらよく見える、とてもいい席だった。

 五十二歳の時の森下さんを想像して、その踊りを観た私が愚かだったといえば愚かだったのだが、もう、森下さんの踊りにはそんな尖ったものはなかった。「音にはまる」という言葉があるが、森下さんの踊りはまさにそれで、若手ダンサーのような溌剌とした、切れ味の鋭い踊りというものはもう随分前に置いてきてしまったようだったが、七十五歳でしか魅せることのできない絶妙な間の取り方、とでも言うのだろうか。テクニック的な面での物足りなさはあったものの、もうそこは誰にも踏み込むことのできない森下さんの「聖域」とでも言うのだろうか。そこには世界中どこを探しても観ることのできない、森下洋子というバレリーナしか魅せることのできない「奇蹟」があった。
 誰もたどり着いたことのない未知の世界で、森下さんは踊り、そして、観客はその姿を見届けているのである。世界中どこを探しても、そんなことができるバレリーナも観客もいないのである。そこに立ち会えた人間は「奇蹟」以外何者でもないのである。 

 正直な感想を書くとすれば、やはり私はもっともっと若い頃の森下さんの踊りを見ておくべきだった。森下さん自身がおっしゃっていたことだが、若い人には若い人にしかない良さがあり、かと言って、年を重ねた人間にしか出せない良さもある。それは、どちらがいいと言えるものでは決してないと。
 もし、私が五十代の頃の森下さんの踊りを直に見る機会があったとしたら、きっと、この言葉の意味を身を以て理解できたのではないかと思うのである。しかし、もうそんなことを考える必要はないのかもしれない。どうしたところで、森下さんは現在七十五歳なのである。こうして踊り続けていることが、そして、その姿をこの目で直接見届けることができたことが、それがどれだけ尊いことかということ。私はただ、その事実を大切に胸に仕舞って希望を持って明日を生きていくことが、きっと、踊り続けるバレリーナ・森下洋子の望むところなのだと思っている。

2024年5月7日 書き下ろし。

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