見出し画像

浪人時代の話(その3)

そういえば、駿台の講義の感想がまだだった。
最初は何回か駿台の講義を受けた。
英語は京大卒のS先生の英文解釈の講義があまり良くない意味で印象に残っている。S先生は講義の最初にこういった。「僕は京大卒で京大出身であることに誇りを持っています。京大志望のみなさん、一緒に頑張ろう」これで私はその講義を受講する気がなくなってしまった。正直、現役時の合格の見込みは文I前期20%文III前期50%文I後期60%と言ったところであった。京大文系なら80%程度はあったろう。「京大に行くために浪人しているわけではない。あくまで文Iに行って官僚になりたい」という強い意志があった。今思えば、京大志望者のほうが多い。東大文系クラスは25名、京大文系クラスは72名だった。とはいえ、母校の上位クラスの授業を受けていれば、京大は医学部以外は現役で合格できる大学。違和感はぬぐえなかった。最初の講義の英文もおそらく京大の過去問だろうが、京大対策がしっかりしている高校の授業で取り扱ったもの。東大京大英文解釈という授業には出る意味がない、と判断して早速切った。英文法の講義にしても、自分で英文法の参考書をやった上で、即ゼミ3やZ会の英文法の問題集はこなしていた。その上でZ会のEJもやり、東大模試で偏差値55以上はあった。敢えて講義を受ける意味はあるのか?と疑問に思うことが多かった。とはいえ、京大レベルにも到達していない浪人生が大多数であり、基礎から固めていく、という方針は全体を考えれば正しいのだが、文Iを目指している受験生には特に駿台の前期は物足りないものだった。前期は基礎固め、後期は実践期で難問を取り扱うという方式だ。後期からは出る意義はあったが、前期で予備校の講義に失望してしまい、特定の講義以外はでることがなくなった。印象に残った講義を挙げたい。まずは世界史の中谷先生の講義。人気講師で今も参考書が売れている(『中谷の世界史論述練習帳』)。講義も面白く、歴史名辞をかなり覚えられたし、理解も深まった。東大過去問の添削もしてもらえた。素晴らしい講義だったと思う。また、中野芳樹先生が現代文の講義を受け持たれていた。今なら受けてみたいと思うのだが、当時はあまり受けたいとは思えなかった。記憶に残っているのは記号論の解説をしていたが、どうも面白味にかけた。現代文の参考書はかなりこなしてこちらもZ会のLJまでやっていた。中野先生の現代文も切ってしまった。倫理の講義は気分転換にでていた。友人が講師のファンで、「ここは大学の教養課程で学ぶことだが」というような蘊蓄が多かった。「駿台の校内生で一番模試の平均点が高いのはここ緑地公園の大阪校だ。君たち自信を持ちなさい」とも言われた。情報も得られ、気分転換になった。もう一人C君という医学部志望の友人がいたが、彼は表三郎先生のファンだった。「佐藤君、一緒に講義に出ようよ」と誘われ、時々でていた。表三郎先生で印象に残っているのはSFC推し。「お金がないから文Iというのはわかるが、お金の問題がなければ君たちSFCに行きなさい」という話をよくされていた。文IよりSFC、私は理解に苦しんだが、表三郎先生の信者の中には実行した受験生もいたのだろうか。名前は忘れたが、センター現代文の初回講義で、「正直、私は小説1問間違えました」と仰った女性講師がいて記憶に残っている。山田詠美の「眠れる分度器」からの出題であった。私は作品を読んだことがあったが、散々な出来であった。当時は史上初の国語満点無しという難しさ。平均は107点だったが、小説と古文の出来が皆悪かった。あとは日本史の杣田先生の講義も受けた。近現代史の理解が深まり、面白いものだった。総じて、東大京大文系コースとはいうものの、京大コースの力及ばない層がメインであって、東大志望者にはあまり合っていないのではないか、という気がした。灘の駿台の同期が、「代ゼミいいで」と言っていた。彼も駿台代ゼミW在籍だが、代ゼミの富田先生の講義が良いとのことだった。代ゼミは東大を受験したことを前提にいきなり実践という形だった。(4月から駿台代ゼミのW受講をすべきだったな)と後悔した。祝田先生の世界史も受けてみたかったなと思う。『東大のディープな世界史』で有名な代ゼミのトップ講師だった。代ゼミはサテラインで全国で共通の講義を受けられたため、関西でも東京の講義を見られるのはメリットとしてあった。隣の芝生は青く見える、ではないが、代ゼミいいな、という印象を私は抱いていた。
続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?