見出し画像

  青風


(おことわり…この小説は、第二回海洋文学賞童話部門大賞作品の『太郎の海の青い風』を一部修正加筆したものです。受賞作品であることを明記した上での掲載ということで許可をいただいております)

 1

 九州よりも、沖縄本島よりも、もっとずっと南の小さな島に、ターラ(太郎)と言う若い漁師がいた。体は島の誰よりも大きく逞しいが、まだ、十八にもなっていなかった。

 九つの時、父親を嵐の海で亡くしてから、ターラは一人で大きくなった。
 天涯孤独のターラを、力尽くで自分の臣下にしようとする島人もいた。しかし、ターラは誰のけらいにもなる気はなかった。気性が荒く、腕っぷしも大人顔負けだったので、相手が誰であっても向かって行って叩きのめした。
 そんなターラだったから、しだいに手のつけられない荒くれ者と噂が立ち、みんなから恐れられるようになった。

 しかし、その一方で、島の人たちは、太郎に一目も二目もおいていた。それは太郎が、他の誰よりも海を知り尽くしているからだった。
 10日ほど前も、一人のおばぁが太郎を訪ねてきた。
「ターラや、明日、孫娘が隣の島に嫁入りするんだが、天気の方はどうだろうか?」
 その日は全く風もなく、海は鏡のように凪いでいた。しかし、水平線の彼方をじっと見つめてターラは言った。
「今日のうちに海を渡った方がいい。嵐の気配に海底の砂粒がジャカジャカ騒ぎ始めている」
 おばぁには、いつもと同じ穏やかな海にしか見えなかった。それでもターラの言うことだからとその日のうちに孫娘を連れ、隣の島まで渡った。
 そして翌日、ターラの言うとおり大嵐がきた。

 昨日は昨日で、ターラより十も年上の漁師が訪ねてきた。
「今日は息子が生まれて百日目の祝いの日だ。お客にとれたての鰹の刺身を振る舞いたいが、どっちに行ったら取れるだろうか」
 ターラは海を見渡せる高台に登ると、東を指差した。
「ほれ、あっちに黒っぽい影が見える。あれはカツオの群れに集まる海鳥たちだ」
 漁師は目を凝らしたが、何も見えなかった。それでもターラが言う通りに、東に向かってサバニを走らせた。
 小一時間も経った頃、黒い影が見え始めた。空を覆い尽くすほど沢山の海鳥たちだった。そしてその下には、おびただしい数のカツオが海面盛り上げるように泳いでいた。


 心は赤ん坊のまま、体だけ大きくなったようなターラだったが、海のことに限ってはターラの言うことに間違いはなかった。日差しや雲の加減で微妙に変わる海の色。波の形、水飛沫の音。潮溜りのカニの動き方。ターラはそこから海の言葉を聞き分けることができた。

 そんなターラだから、歳は若くても猟師としての腕はとびきり良かった。サバニの操り方や一本釣りの技は島一番の漁師だった父親譲り。そして銛で魚を突く素早さと確かさは、その父親にも優っていた。

 ターラはふんどし一つで紺碧の海へ深く深く潜っていく。まるで海で命を受けたもののように、その姿は力強く美しかった。
 こっそりと獲物の後ろから銛を打つ、なんて卑怯な真似をターラは決してしない。正々堂々正面に回り込み、魚とがっぷり目を合わせる。
 そうなったらもう勝負はついたようなものだ。


 ターラと睨めっこをして勝てる魚はまずいない。睨み合いに耐えられなくなった魚が、わずかに目を逸らしたその瞬間、ターラの手から銛が放たれるのだ。

 しかしそんなターラでさえ、どうしても仕留めることのできない魚がいた。島の漁師たちからアオカジ(青風)と呼ばれている魚だった。青い鱗をキラキラさせながら、風のように早く泳ぐので、その名がついた。

                                               続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?