綺麗事は言わない。
「自信を持つ」「人に自慢しない」「1人を楽しむ」
これらの台詞は聞きあきるほど言われた。
私自身も、これらに向かって努力してきたし、達成したいと思ってた。
だけど、途中で気づいたのだ。
これって、「持ってる人」のみが言えることではないか?
昔の私の話をまずはしたい。
昔と言っても遠くはない昔、私は中学生だった。両親に愛されて育った私は自信という自信を持っていて、第一子だったこともあり周りから愛されて育った。その影響で、他の人も当然のように自分を愛してくれるとのと思っていた。
結果はどうか。
当たり前に想像出来ることではあるが、私の周りに誰も人は寄ってこなかった。
当たり前だ。自分が正しい存在と思っていて、相手を受け入れなかったのだ。
結果、私は1人になった。
特別いじめられていた訳では決してなかった。
ただ、「会えば話す」程度で、例えば2人組のとき私を誘ってくれるだとか自由行動の時グループに入れてくれるだとかそんなことは無かった。
その経験を通して私は孤独感を幼いながらも感じた。それを踏まえて話していきたい。
1.「自信を持つ」
これは他人から愛されるということなしにはほぼ有り得ない。
愛されてこそ自分の価値が肯定でき、「これでいいのだ」と思える。
よっぽど1人が好き、という人はまた別だと思うが、殆どの人は多くの人に「肯定される」「理解される」と喜びを感じる。
だからこそ、自信を持つことはまずは他人の評価無しには成り立たないのだ。
2. 人に自慢をしない
これは1と繋がる所があるかもしれない。自慢をしないようになるためには、以下の二つのいずれか又は両方のステップをふむ必要がある。
1)自分で満足していて他人に言う必要が無いと思えること
2)十分周りから評価を得ているため、他人に言う必要が無いこと
ほとんどの人の解決法は1)であると思うが、この1)は前述した1.自信持つ という事に深く繋がる。よって、自信を持つという前提無しには成り立たないのだ。
3. 1人を楽しむ
お分かりだろうが、今までの文章は全て「私視点」で描かせて頂いている。前述した通り、私は学生時代に孤独を体験したことから、人間関係の構築は必須と考えているため、それを前提として話を進めたい。
「1人を楽しむ」ことこそ、人がいないと出来ないことではないか。
以下の例がわかりやすいと思う。
殆どの人は「休日」=楽しいもの、と捉えると思う。しかし、毎日が休日であったらどうか。何の変化もなく、当たり前と化し、待望するものではなくなると思う。
これと同じように、年中「一人でいる」場合、一人でいることは楽しめないのである。
そろそろまとめに入りたい。
以上の事から、これらの台詞は「持っている」人間の立場からしか言えない。
私自身どちらかと言うと持っている人間だと思う。だからさも当たり前かのように綺麗事を言うことは出来ないし、したくない。
じゃあ、私たちはどうすればいいのか。
私は、だからこそ、人との関わりが必要だと思うのだ。
どういうことかというと、私たち人間はそれぞれがそれぞれの価値観を持っており、簡潔な言い方をすれば「偏っている」
裕福な人は「裕福な人から見た価値観」を持っているし、そうでない人も「そうでない人から見た価値観」を持っている。
そこで、様々な価値観を持っている私たちが関わっていくためには、より多くの価値観に触れるしかないのだ。
それに当たって、必ずしも「全てを受け入れる必要性」は全くない。
そんな事をしたら、自分の価値観なんてものが崩れてしまうし、情報に惑わされて自分自信がなくなってしまうだろう。
ただ、「そのような価値観もある」ということを理解すればいいのだ。
これが簡単なようで難しい。人によっては、自分の価値観が分からなくなってしまったり、逆に自分の価値観を押し付けてしまったりする。
それを防ぐためには、「自分は自分、相手は相手」というある程度の割り切りが必要だろう。
冷淡なようにも聞こえるが、自分と他人をある程度割り切ることによって、相手の価値観を「理解する」ことが出来るのである。
これによって、私たちは「綺麗事」で簡単にまとめるのではなく、真の意味で相手との関係性を構築出来るのではないだろうか?
そして同時に、自分に自信を持つ事が出来るようになるのではないだろうか?
偉そうにつらつらと駄文を書いてきたが、私自身、未熟でありまだまだそれが出来ないでいる。
しかし、10年後、もしくはもっと先の未来に、それが当たり前にできるようになっていたいと最近は考えたりもする。
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