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わたしがnoteを辞めた理由

「一緒にnoteの海を泳ぎませんか」

私が審査員として関わっていた私設コンテストにみなさんをお誘いし、そのコンテストの講評をめぐってトラブルがありました。

暴力的な強い言葉が飛び交い騒ぎが大きくなり、色々なところで色々な方々が傷つき応募作品の取り下げや、noteをお休みなさったり辞めたりする方がいらっしゃいました。

私は「一緒に泳ぐ」ということの責任を感じていました。苦しかった。暴力的な強い言葉に気持ち悪くなりながら、最後までそこにいました。

泳げなかった。

溺れてしまいました。

そこから半年後、noteを辞めました。

また審査員にお誘いいただいたのですが、サポートを含め違った形で応援したい、とお断りしてました。

コンテスト、そっと見守っておりました。

またトラブルがありました。どんなことにもそれはつきものでトラブルがある、というのは想定内のことだと思います。それ自体は決して悪いことではありません。

ただそこに飛び交う暴力的で汚い言葉に吐き気が致しました。

Aさんのトラブルでそれに対して同調したBさん、Cさんが巻き込まれてしまったのです。

とても汚い言葉で。

びっくりしました。

思わずCさんにコメントしてしまいました。

『この度の騒動に心を痛めているひとりです。
多くの方がまたか、やっぱり、と残念に思っております。
誰がいつ何時何分何を言った、これが事実です、法的ではと
不毛な争いはお互いの品位を下げ、noteの見世物状態、
ワイドショーになっております。

どちらにも正義があり、論破したところで意味がないし、
読み方や感じ方は人それぞれ自由です。
SNSで発信する最低の条件は人を傷つけないこと、
だと思います。
文章を書く方々の汚い言葉に吐き気がいたします。

私がnoteを知ったのは私個人を特定できるような文章がある、
と懇意にしている政治家に教えていただいたからです。
私はずっと傷つきながらnoteにいて1年半かけて
その文章を取り下げてもらいました。

闘う方法は、ここで論破するばかりではないです。
政治家ではないのですから。
大切なものはここの他にあるはずです。

noteでしか生きられない人にならないでください。
つながりすぎず反応しすぎたり相手になさらないでください。
命を大切になさってください。

心を痛めている優しい方々がたくさんいます』

ここでCさんがブロックしている方が代理の方をたてて私に意見がありました。

ブロックされておりますため代理で書き込みさせていただきます。

片方の側、つまり私のことにも言及されておられますので、一言申し上げたくこの場をお借りしてコメントいたします。お言葉ですが、私の品位はこんなことでは下がりません。
この人は下る。これいかに?

また、見世物、ワイドショーというのは、今度は受け手の品位の問題、受け手がどのような人間性を持っているかで試される問題です。ゲスなnoterはそのように見ますし、そうでない人はまったくそうは見ていません。


>>SNSで発信する最低の条件は人を傷つけないこと、
だと思います。

大切なことではありますが、それよりも大切にしなくてはいけなことはたくさんあります。それもまた、多数の支持のあることです。

多くの事柄にはどちらにも正義があるでしょうというご意見ですが、それは私もそのように考え、行動しております。

しかしこの問題にはどちらにも正義がある、という一般論は当てはまりません。。
私どもサイドだけに正義があります。

ここではCさんに返信し、この意見をくださった方には直接コメントしました。Cさんのnoteのコメント欄でしたので。

『私の一方的な義憤で、Cさんの好まない方を招くことになって
申し訳ありません。心よりお詫び申し上げます。ごめんなさい。

直接コメントしましたので、Cさんが好まない方をこちらに招くようなことがないよう配慮したつもりですがもしまた何かありましたらごめんなさい。

他の記事も拝読させていただきました。
Cさんの今後が少しでも明るくなるよう願っております』

私は臆病なので怖くなってnoteから離れました。今、ここにいることもまた恐怖を覚えてます。言葉での攻撃が怖いです。

怖い。

このような投稿があり、精神的苦痛を被り恐怖を感じております。

SNSで文章を書いて、意図せず私も人を傷つけてしまったことがあります。そんなつもりじゃなかったのに。読みとり方とか感じ方で。

意図して、こいつをやっけてやろう!という文章に出会うとびっくりします。

何が本当で何が嘘か、本人と信頼している方々がわかればいいと思います。


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2年ぶりにトライアスロンに参加致しました。茶色く濁った水に苦戦したけど、トライアスロンができる、ってしあわせだなと思えました。先日は、登山に行きました。大きな険しい山に向かっていくことは辛いけど、楽しいです。

note以外にも信頼できる仲間が日本各地、世界中にいます。彼らの顔、声を私は知ってます。

noteでの怖いできごとは私にとって取るに足らないもの。

noteでの優しいできごとの方が大事。

noteで穏やかな方々とまたつながらせていただければと思っております。

読んでいただきありがとうございました。


記事を再訂正致しました。誤解をまねくような発言すみませんでした。



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