自由と厳しさ

私たちには自由な選択肢がある。好きな会社や仕事を選ぶことができ、好きな相手と結婚することができ、好きな場所で暮らすことができる。持っている資産の範囲で自由な生活をすることができる。完全ではないけれど随分と自由の範囲は増えた。

明るい一方で、やるせなさも顕在化した。会社も、結婚相手も自由に選ぶことができる。しかし自分が選ぶ一方で相手も選んでいる。会社に選ばれなければ仕事はない。誰かに選ばれなければ結婚もできない。自分が自由であるということは、相手も自由であるということで、つまり自由な社会では、競争に勝った人しか自由を活かせない。

好きなことをして暮らせる人が、みんな好きなことをして暮らそうと言う。しかし好きなことをして暮らすことが許される程度には能力と価値がなければならない。能力が足りない人には、狭まった選択肢の中でしか選択できない。

自由は素晴らしいが、一方でその恩恵を受けるためには選ばれる人にならなければならない。そういう人に誰しもがなれるわけではない。そうした切なさの中で、それでも自分に与えられた範囲の中で、私たちは慎ましく生きていく。昔はそれが顕在化しなかった。今はネットの中に、昔は見なくても良かった自由を謳歌している人を見つけてしまうようになった。

自由になろう。それが許されるぐらいには価値がある人間になろう。つまりは競争に勝とう。自由な社会は戦いの社会でもある。自分が選んでいるのと同じように、他人もあなたを選ぶかどうか考えている。全ての人が幸せになるためにはどのあたりにバランスを取ればいいか。

2014年12月24日 blogより

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