安全を最優先する日本社会が支払っているコスト

いくつかの国を経験しましたがおそらく日本は世界でも最も安全な国の一つだと思います。子供が一人で通学でき、落とした財布が交番に届けられ、警官が発砲しなければならないような犯罪の回数も少ないです。OECDの調査では犯罪の発生率は最下位(軽犯罪はスペインに次いで2位)です。

なぜ日本はこれほど安全なのか。いくつかの説明がなされています。倫理観に理由を求めるものもありますが、しかしかつて治安が悪い時代もあったのでこの説明では難しそうです。同調圧力が強いから監視しあっているという説明もあります。これはあり得そうですが、同じぐらい同調圧力が強い国でも犯罪率が高い国はいくつかありますから、それだけが理由と言うのは難しそうです。少子化高齢化により国内総テストステロン量が低下しているなどは理由の一つにありそうですが、私は一番わかりやすい説明として損失を回避する性質が強いことが主な理由ではないかと考えています。

かなり乱暴に言ってしまうと、日本人は総じて心配性で悲観的です。普段何気なく考える時も獲得するものより失うものを強く意識しています。どの国も自国の事は厳しく見る傾向にありますが、日本人の未来への悲観度合いと人生を心配する度合いは群を抜いています。

これはさまざまなところに散見されます。まず日本の説明では事前に注意点を指摘することがとても多いです。アメリカやヨーロッパでももちろん注意点は出てくるのですが、日本の注意への執着はやはりかなり特徴的ではないかと思います。また、あらゆるサービスが問題が起きないように考えられています。仏壇にある蝋燭が倒れたらどうするんだという安全面の配慮から自動走行型掃除機の開発が遠慮されたとまことしやかに言われるほどです。

このように皆が心配性になると、社会全体は安全面が配慮されたとても安全な社会ができあがります。これが日本社会を安全にしている大きな理由ではないでしょうか。一方で、個人レベルでの幸福感は低下します。なぜならば常に今やっていることに問題はないか、この先に起こりうる危険はないか、自分自身は秩序を乱したり危険なことをしていないかとチェックするからです。要するに私たちは基本的に何かを心配していて憂鬱だということです。

私の主張をまとめます。日本では社会の安全を維持するために個人レベルで問題点を発見しそれを潰すという努力がなされている。それができるのは日本人が心配性だからである。心配性を維持する犠牲として、個人の幸福感が損なわれているということです。もしかすると若年層の自殺の多さもこの影響の一つと考えられるかもしれません。

私は安全安心な生き方と充実した人生は相反すると思っています。これが国レベルで起きているのではないかというのが私の仮説で、こんなに安全な国なのに国民の幸福感は低いということはこれで説明できるのではないかと考えています。

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