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再配分と根性論

長文ファンの皆様おはようございます。年末ですから本当に長文です。今年一番気になったことは「社会の配分システム」でした。

スポーツには根性論というものがありますが、これを定義すると「リソースの制限を考えない思考体系」だと言えます。

典型例は「365日限界までやれば絶対勝てる。根性を出せ」のようなものです。

根性論の特徴には二つあります。

①必要な要素の積み上げから限界を考える。限界からリソース配分を考えるのではない。

②限界は思い込みである。限界を突破することで人は成長する。

②に関してはあながち間違えていません。確かに限界だと思っているところまでやると人は成長することが多いです。だから根性論はやる気のある人もない人も一定の段階まで成長させる力を持っています。

しかし、根性論の問題点は限界が曖昧になることです。「必要なものは必要」と、大事そうなものを際限なくどんどん積み上げていってしまうのです。労働時間に上限のない会社のようなものです。

いくら個人が限界を突破しても全体としてはやはり限界があります。全体としては「何を捨てて、どこにリソースを投下するか」の取捨選択が必要です。戦略です。

根性論は、個人の限界が見積もれないために、それを合わせたものである全体の限界もまた見積もれなくなり、結果曖昧な戦略と、個人の努力でなんとかする文化ができやすくなります。私たちの社会は根性論で個人の限界を突破させる副作用として、全体の戦略思考が弱くなりがちです。

例えば国家の予算配分では、局所的に見れば全て必要です。子供も、医療も、インフラも、安全保障も全て大事です。

しかし、当たり前ですがリソースには限界があります。国債をいくらでも発行すればいいという人もいますが、私には財政の根性論に見えます。

一つの例として「命は金の問題ではない」という意見があります。しかし、実際にはどの国の命も金の問題で決まっています。

本当にリソースの限界を取っ払えば(国家予算を超えるところまで)、寿命をある程度伸ばすことは可能ですが、その分子供の教育、エネルギー、安全保障などを犠牲にしていきます。

成長しパイが増えていく時代は、局所から声を上げて配分を増やす思考でよかったわけです。しかし、低成長になりリソースに限界がきている今、全体のバランスを考えた配分が求められます。

今年は既得権益に切り込む年でしたが、要するに既得権を守れるほどリソースが足りなくなってきたということだと理解しています。

問題の指摘にはあまり意味がなくなりつつあります。問題はみんなわかっているけれど、リソースが足りないんだという時代ですから、解決策の提示までいかなければ響きません。

そして解決策の提示とは「自分たちの窮状を嘆くだけではなく、全体の再配分バランスを考えた継続可能な案」でなければなりません。

急激に維持が難しくなっていると言われる人もいますが、1992年に少子化という言葉が世に出てから、わかっていたことです。人がいなくなり、働く人も減るのですから、今までの仕組みが維持できるわけがありません。

私たちの国は小さくなることが随分前に「確定」しています。しかし、不幸になるわけではありません。

このようなフェーズでは、分断が起きやすくなると私は考えています。配分する政府に文句を言っていたところから、あいつが私たちの配分を奪っていると罵り合うところまで簡単に転がっていきます。少ないリソースをめぐって取り合うからです。リーダーが大事なのだと思いますが、私たちの文化は強いリーダーを求めません。

そうなると結局一人一人の市民の賢さと勤勉さと、たくさんのリーダーが、局所ではなく全体を考えながら上手に新しい形にもっていけるかどうか。それができれば未来は明るいと思います。ゼロベースで見れば、チャンスはたくさんあるのではないでしょうか。

皆様今年も長文にお付き合いいただきありがとうございました。

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