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テーブルの上にはない選択肢

頭が良さを考える時、そこに様々な特徴を見出しますが、その中の一つにテーブルの上に乗っていない選択肢を見出して選べるというのがあると思います。人生は選択の連続です。

考えてみるとあらゆる選択のほとんどで私たちは前例を参考にしています。起業家が増えて起業という選択があるのだと思い、海外移住した人の話を聞き海外移住という選択があるのだと思います。選択肢を目にしてはじめて人はそれを選べるのだと意識します。例えばタイにマンゴーライスという食べ物があります。ご飯にマンゴーを添えるという日本に暮らしているとちょっと思い付かないような食べ物です。私はそれが大好物で時々無性に食べたくなるのですが、マンゴーライスを食べる前は同じような欲求が湧き上がった時には違うものを食べたがっていたのだろうと思います。人間には欲求がありますがその欲求の満たし方すら、過去の経験や目の前の選択肢の中から選んでいます。

どの学校に行くか、どの会社に入るか、どこに住むか、賃貸か購入か、などは大体選択肢が出されているものです。マーケティングは選択肢を提示し相手に第一想起させることを目指しますから、資本主義社会で生きていれば選択肢に困ることはありません。それがテーブルの上にあるものを選ぶことです。ではテーブルにない選択を選べる人はどう考えるかというと、「どちらが良いか」ではなく「そもそも〇〇とは何か」と問いかけます。生きるとは何か、学ぶとは何か、働くとは何か、住むとは何かを考えるわけです。そうすると既存の選択肢は過去の慣習や、誰かの都合によって決まっていることに気が付きます。

そもそもからスタートして現実社会に戻ってくると、見えているものではない選択肢があると気がつくことがあります。ただ習慣や社会の構造の力は強いですから、既存の枠組みにない選択の多くは仮に本質的であったとしても、うまくいかないことがほとんどです。それでも、選ぶことを繰り返すうちにうまく機能するものを見つけられるようになるのだと思います。

人と違う生き方をしていると言われる人がいます。しかしよく見ていると、他者と被らないように違いを作っている人と、そもそもから戻ってきたら他とは違ってしまっている人がいます。どちらがより幸福なのかはわかりません。違いを意識的に作る人の方がビジネス的に成功する可能性もあると思います。テーブルの外に選択肢があると知ってしまうことは、目の前に見ているものが全てと思えないという点で素直に喜べないという問題も生じさせます。価値観に染まれる人の喜びはシンプルです。

犬がいいか猫がいいかという選択は、どんな生活をしたいかに還元され、どう生きたいかという問いに還元されます。テーブルの外の世界を知っていてあえてテーブルの上のものを選ぶのか、テーブルの上にしか選択肢がないと思っているのかは、ずいぶん違います。何かを選ぶという行為自体、引いてみれば宇宙の中のある領域をまとまりにして比較しているということだと思います。時間軸と空間を広げてみれば、意思決定などないのかもしれません。

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