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頭でっかちと言われる現象について

スポーツを長くやると、特に私のようにしつこく考えるタイプは物事を複雑に考えすぎて袋小路に嵌まり込むことがある。外からは考え方に癖があったり、無駄に複雑に考えたり、こねくりまわしている印象を持つが、本人はそのことに気が付きにくい。むしろ自分だけは考えているという自負すらある。

陸上競技の良い点も悪い点も、いかに複雑に考えようとも、結果で判断できるということだ。どんな正しい論理も、現場で機能しなければ意味がない。だから自然と複雑に考えるタイプは淘汰され、本質を捉えた人が生き残りやすい。問題は、結果の方が科学的な結論より優先される場合がある点だ。

これを私たちの世界では頭でっかちと表現する。頭でっかちにもいくつかパターンがある。
①複雑にする
②情報が多い
③偏りが強い
④保留する
⑤実践への興味がない
大体はこれらが組み合わさっていることが多い。

①は物事を正確に捉えようとして複雑にしすぎている。正確であることは科学的には正しいかもしれないが、人間の認知能力や意識の置き方の癖を考えると、不正確でも端的に理解できた方が機能する。複雑にしすぎる人間は、人間の理解の仕方、物事の捉え方においては理解が弱い。

②の情報が多いタイプは、もう少し正確に言えば情報の取捨選択ができない。だから、情報が入ると無駄なものが抜けていき要点だけが残るということがなく、情報の軽重にかかわらずあらゆる情報が残ってしまう。このタイプはコーチを一人に絞り込んで情報の流入源を一箇所にする対処が効く。

③のタイプは、どのような事象もある一つのモデルで考える癖を持っているタイプだ。どんな話をしても最後には、結局いつも同じ結論になってしまうのはこのタイプと言える。思い込みが強く、人の話を聞かないので一部の突き抜ける天才もこのような傾向にある。

④の口癖は”そうとは言い切れない”だ。一見すると科学者にあるようなタイプに見えるが、違う点は積極性がないことだ。競技力を上げるためには結局身体での実践しかないが、保留の癖が強すぎて選択をすることがなく、結局いつもと同じことを繰り返してしまう。

⑤は頭でっかち全体に言えることだが、結果を出すということに実はフォーカスしていない。だから議論をしても、最後にこれは現場で機能するのかということに対して興味を持っていないので、言葉遊びのようになってしまう。これは本当に自分を強くのかという強い問いかけがない。

考えることは必要だが、こと競技スポーツにおいて考えることはあくまで手段であって、結果が全てだ。たとえとても正しい理論であってもそれを身体で実践できなければ意味がない。

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