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他人を物的に扱う癖

私のまた単なる勘ですが「他人を物的に扱う癖」がつく企業文化というものが世の中にはあって、この癖が一旦こびりついてしまうとどんなに隠しても言葉や行動の端々にそれが表れてしまい、現代ではそれが問題を引き起こす原因になってしまっていると感じます。

興味深いことに「物的に扱っている」側はそのことに無自覚なのですが、相手はかなりはっきりとそれを感じ取るのでとても大きな摩擦がそこに生まれます。これが問題となった時、根本の解決には「相手を人として見る」癖を付け直すしかないと思うのですが、表面で解決を試みることが多いように見えます。なんでだろう、どこが問題なんだろう、と悩みあれこれいじってみても、見方の癖がある限りは解決しないのだろうと思います。

多くの場合、最初から他人を物扱いしているわけではなく、人生のどこかで物扱いされた時代があり、最初は本人も抵抗があったのかもしれませんが、いずれそれを受け入れ抵抗感が薄れていき、自らも他人を物扱いすることがある日から自然になっていく、というプロセスなのかなと推測しています。また、人を物的にみるのは仕事をやる上でやりやすい側面もあって、全員がそれで統一されてしまえばある程度の円滑さが生まれるのだと思います。

スイスの作家マックスフリッシュが移民政策に関して、こんなことを言っています。

「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」

昨今の流れを大きくまとめれば「人間を消して労働力化していた個が、人間であることを意識し始めた」ということだと理解しています。

もし私の読みが正しければ「相手を物ではなく、人として見る」ことを受け入れないことには、時代の変化と共にいろんな問題が噴出するのではないかなと思います。しかし、これは積み上げて理解したりロジカルに理解する類のものではなく、ひらめきというかいきなり腑に落ちる類のものなので、わからない人にはなかなかわからないのかもしれません。という私もわかっているかどうかかなり怪しいですが。

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