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複雑なものの中から軽重を見分けられる能力

複雑なものや初めて見るものに対してと、すでに存在していて既知のものに対しての、戦い方は随分違っていて、それぞれの領域が得意な人も違う。後者はどちらかというとスポーツに近くどうやれば勝てるかが明確で、前者は何が勝利かどこが勝利の要諦かわからず、蓋を開けて初めて誰が勝者だったかわかる。

複雑なものを見たときにどこが重要かわかるという能力は、ある程度経験でわかるものの先天性のものも大きいように思う。初めてやるゲームで要するに何が重要かを察知する能力で、イメージで言うとコトの軽重が分かり、重たいところを見つけ出す能力とも言える。

思考が複雑になる人間は、軽重が整理できず、省いていい軽いものに注意が引きつけられ重点が見えない。端的に捉える人は、なくてはならないある点を見抜きそこに注意を向け、本質には影響を与えない軽いものを省くことができる。どうでも良いこととどうでも良くないことが、峻別できていない。

人体の動きを視る際にも似たようなことが言える。手足はほとんど中心の影響を受けた末端に過ぎない。なぜそのように動かなければならなかったのかを考えると、中心で起きていることと末端との関係が見える。全ては影響しあっているが影響を与える側と与えられる側があり、その元を掴めるかどうか。

後天的に軽重を見抜く能力を鍛えるには知識と考察、実践経験だと思う。実践経験だけで鍛えることもおそらくできるが、その場合急に外的環境が変わったときには、過去の経験に引きずられて、どうしていいかわからなくなる。実践経験による学習は自動化を促し、自動化された学習は変化に弱い。

結局最後は、何々観と言われるような自分なりの考察の結果の観点を持っているかどうかだと思う。それに照らし合わせて現在の状況を分析し、重たいと思われるところを押さえに行く。だいたいそういう時は集団とは違う方向に走っているが、横を見ると数名の勘の鋭い人間がいて彼らをそこを競い合う。

見えているのはいつも表層だ。


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