自由な人たちとマーケティング

マーケティングという手法が西洋国で発展した理由の一つに、「個人の自由は極力制限しない」があるように思います。もし人や社会を動かしたい時、個人の自由が制限できないならば、どうすればその人が結果的にそうするか必死で考えなければなりません。それはそうしたくなるように仕向けるしかないと思います。

例えば日本では「芝生立ち入り禁止」という看板でしたが、豪州では「芝生が育ってます」でした。もちろん海外で禁止と書かれているところがありますが、そういうところは大体本当に禁止なのでそれを破ってしまうとえらい目に遭います。つまり日本は原則が禁止で許可が得られたエリアには自由があるという考え方、特にアメリカですが原則が自由で特定されたエリアは自由が制限されるという考え方だと思います。しかも、多様性の幅が広い。

このような環境において、どうすれば人がそうしたくなるかを考えるマーケティングという手法が発展したのだと想像しています。歴史上もっともマーケティングに成功したのはキリスト教ではないかと思います。信仰のようにその定義上、本質的には強制が難しく個人が進んで受け入れるしかないものを広めるためにはマーケティングはとても重要です。

我慢をしない自由な人が増え、多様性が増す社会は混沌とします。多様性がある社会は、文脈が通じない、見方が違う、好き勝手動くからです。そんな違いがある人たちをある方向に動かすには卓越したメッセージング能力が必要になります。こうしなさい、こうすべきではなく、このような未来の方が良くないですか、というコミュニケーションです。メルケルさんが緊急事態宣言で出したメッセージは「今回がおばあちゃんに会えた最後の年だったと思いたくないでしょう」でした。「実家に帰ってはいけません」よりは心が動く人が多いと思います。

もし今の時代が組織やヒエラルキーが弱まり自律分散型に社会がなっているとするならば、なおのことコミュニケーション能力が重要になります。人が我慢をせず自由に居場所を選ぶようになるなら「こっちの水は甘いぞ」とうまく伝えてられることが有利になります。また、そうして人が集まるほど本当に「こっちの水を甘く」しやすくなることもあります。ソロスは再帰性理論と呼びました。

私も含めですがおじさん世代は、自分の感情は一旦おいておいてまずは従うという方法が身についています。それは組織をきちんと動かすことには長けていたのだと思いますが、そのような従順なメンバーを動かす上でのコミュニケーションは極めてシンプルです。「いいからやれ」です。一方、あんまりいうことを聞かない人たちをその気にさせるにはかなり練られたコミュニケーションが必要になります。この「やらせる」手法から、「そうしたくなる」手法に移れるかどうかが時代に合わせられるかのカギだと感じています。この能力は「したくないことはしない」相手と付き合うことで伸ばせると考えています。うちの息子なんて最適なトレーニング相手です。

一方で、このような自由が広がると、ルールは逆に明確に厳しくなる必要があります。ですから、何が良くて何がダメかがふわっと決まっている状態から、おそらくある程度明確な線があり、その線の中でいかに人を動かしていくかというゲームになるのではないかと思います。

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