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日銀総裁の報酬は適切か

黒田日本銀行総裁の報酬は果たして適切なのでしょうか。3500万円は庶民と比べてもらいすぎだという声がある中、最後通牒ゲームを思い出します。二者間で行うゲームです。ある金額(例えば10万円)の中の配分比率をAが決めて提案をし、Bが提案を受け入れれば両者共にお金がもらえ、拒否すれば両者共にもらえないというシンプルなものです。合理的に考えるとAが何を提案してもBは受けた方が得になります。なぜならば拒否すればお金がもらえず、受け入れれば一円でももらえるのでもらった方が得だからです。

ところが、人間は面白いもので例えばAが9万9500円でBが500円のような提案をされるとBはそれを拒否したりします。個人の利得の最大化ではなく、もっと別の何か(プライドや平等や嫉妬など)も影響して人は意思決定しているということの一つの証左ではないかと思います。

私たちの生活に大きく影響を与えるようなポジションの人間の報酬が我々一般の人間と大きくかけ離れていたとしても、例えば単純化して10億につき1%パフォーマンスが上がるなら、国民個人個人の負担は10億÷1億人で一人当たり10円ですから、10円以上の利得があるなら得をしたことになります。つまり個人の利得の最大化を一人ひとりが目指すなら、ある程度の報酬を支払って(もし報酬の大小でパフォーマンスが変わるならですが)も合理的だということになります。

資産が生み出す富のスピードの方が、個人が働いて稼ぐよりも早いから格差は拡大することをトマピケティはシンプルな「r>g」であらわしました。要するに働いて得られる収入よりも、持っている土地や株式などの資産が生み出す富の方が大きいということです。その富は再投資ができますから基本的んは格差は拡大します。「暴力と不平等の人類史」では、その格差が是正されるのは歴史的に革命、戦争、国家や体制の崩壊、疫病の四つであると整理しました。

ある一定の金融資産を築いた人は働いて得る所得は大した問題にはなりません。富裕層の方に給与額を聞いてもうろ覚えなことがありますが、それは本当の富を生み出す源泉が資産から生み出されるものだからです。

生活をしていて少なくとも見た目上でいい暮らしをしているのは公的な役割をしている人でも、上場企業の役員でもなく、中小のオーナー企業で自由にお金を使える人です。しかもある程度歴史があると土地も持っていて、不動産の所得もある。本当にお金を持っている人は当たり前ですが人前に出ません。

さらに日本は高齢化社会です。団塊の世代の方が持っている資産が大きく、それ以降の若い世代は資産を持っていません。それはつまり不労所得がある一定の年齢以上に偏っている国であるということです。結果として報酬額が下がれば下がるほど不労所得のない若い世代は、きちんと対価が支払われるポジションを求めることになります。

これが何を意味するかというと責任が重い地位で報酬が安い場合、既に資産を築いて不労所得がある能力のある人に人選が偏りがちになるということです。資産がないけれども能力が高い人は、もっといい報酬の(おそらく十倍以上の)仕事と天秤にかけそちらを選ぶ可能性が高くなります。

適切な報酬額にすることは、より多くの人に門戸を広げ結果として我々国民一人ひとりが得をすることになると理屈上は考えられます。一方で、適切な報酬額とは一体いくらなのでしょうか。生み出した価値だけの報酬をもらうべきだという理屈で米国のCEOの報酬額は桁違いに増えました。

では従業員の数百倍の価値を本当に提供しているのかとの問いかけを行ったのがマイケル・サンデルです。調べた結果CEOが変わることでそれほどの影響はないとしています。さらに成功には多分に運の要素が絡みます。幼少期の環境や、遺伝子などです。自分がそこにいることがいかに恵まれていることかを忘れ、運の要素を過小評価し過ぎているとマイケルサンデルは指摘します。

他国ほどの大きな格差は日本の文化には合わないと思います。一方で、あまりに質素倹約を重要なポジションに迫るなら資産を持っていない優秀な若い世代は遠ざかっていき、結果として国民一人当たりが受ける恩恵は小さくなります。感情的に反応し国民一緒に貧しくなることがないようにしないといけません

参考資料

各国のCEOの報酬水準の比較 デロイトトーマツ調べ
米国 約16億
ドイツ 約7億
日本 1.3億
日銀総裁 3500万

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