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個と群れ

私たちは、私を「個体」として見ています。しかし、生物の成り立ちから言えば私たちの身体は細胞の集合体という「群れ」とも言えます。
このようにどこを境目にするかで、「個」と「群れ」は変わり、世界をシンプルに分けるのは難しくなります。

個と群れの境目を理解する上で、「違い」と「分配」は大変大きい要素です。細胞が集合し、今の私たちの身体になっています。カロリーを消費しながら身体を通じて捕食をし、その捕食によって身体内にカロリーが再分配されています。この分配システムがうまくいかなくなると、捕食が滞り、身体内部に不具合が生じ、個体は息絶え、新たな群れに吸収されていきます。

群れが存在する合理性は「自衛し集団でカロリーを摂取し、それを再分配するシステム」だったのではないでしょうか。細胞がより集まった方が生存に有利だった。企業や、国家、身体の仕組みに至るまで「群れる理由」があったのだろうと思います。
一方で、群れは大きくなり過ぎると、その内側に小さな群れが生まれることがあります。
群れが何に対し自衛をし、何に対して境目を作るのか、それが「違い」です。こちらとあちらを分けられるのはそこに違いを設定できるからです。その違いによって群れは切り分けられ、その群れ内部で再分配システムが機能します。

レイヤーを上下させると見え方が変わります。ラブロックは「ガイア理論」の中で、地球の温度などの環境が、生命体の増減によって調整されていることを説明し、地球は一つの生命体だと指摘しました。
つまり、地球上ではいくつもの群れがあるように見えても、宇宙からは地球全体が一つの群れのように見える訳です。

群れは違いでつくられると言いました。身体であれば身体の境目に皮膚という膜がありわかりやすいですが、人間や動物を集めた群れは境目がわかりにくいのが特徴です。ですから群れにいるべき理由が必要になります。その理由がアイデンティティであり、再分配の恩恵に預かることだと理解しています。

「我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか」

有名なこのゴーギャンの言葉を、群れの維持システムとして考えることも可能ではないでしょうか。どのような国家、民族、宗教、最近であれば会社も始まりの物語と、存在意義を説きます。群れのアイデンティティになるからです。

身体もまた群れであり、地球もまた群れだと言いました。
ガバナンスは人間が作る群れ(組織)の統治システムであり、統治するリーダーも細胞の群れによってつくられています。この考えを推し進めていくと、最後は「中心とは何か」という疑問に行き着きます。私はどうも中心がなく漂う濃淡が、群れであり生命であるように思えてなりません。


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