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見立てる力はどのように育まれるのか

長文ファンの皆様おはようございます。

私はクリエイティブと言われる能力は「見立てる力」に支えられていると考えています。何かになぞらえる、そうだとしてみるというものが見立てることだと私は整理しています。

例えばある形の雲を見て「キリンのようだ」と思うのも見立てです。新しいテクノロジーを「まるまるのようなものではないか」とするのも見立てです。

都市部の生活は基本的に誰かが作った人工物に囲まれて生きるということですが、それは誰かの「意図」に促されて生きていることに他なりません。椅子は座るように促し、道はそちらに歩くように促し、スマホはそう注意を向けるように促します。

それは大変効率が良いことでもあります。そうなるようにデザインが誘導しているわけですから。しかし、意地悪な見方をするとただただそのように誘導されて生きているだけとも考えられます。実際のところそれほど頭を使わなくても都市部の生活は成り立つようにデザインし尽くされています。

いや、見立ての技術としてフレームワークがあるではないかと言われるかもしれません。もちろんそうとも言えますが、誰もが同じ枠組みに入れるので、出てくるアウトプットもまた画一的になりがちです。

私は見立てを「子供の心で、大人の知識を用いて見ること」だと考えています。そうなると見立てる力の獲得には

・幅広い情報

・多様な体験

の二つが影響します。情報が広ければ、違う見方で捉え直せる確率が上がる。これは本が一番良いです。

また体験も大事です。特に自然体験は切り株を椅子に見立てたり、キッチンに見立てたりし続けますから。

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