短編BL_005「先客ストロング」

 自殺に来たら、まさか先客がいるとは。
 花井 博(はない ひろし)は高校教師だ。しかし激務にうんざりしいたところに、彼氏にフラれ、自殺を決意した。せめて自分の人生を狂わせた学校に嫌がらせをしてやろうとストロング酎ハイ5本を片手に深夜の学校の屋上へ。さぁ飛んでやろうと思ったのだが。
 「なんで、先生?」
 4階建ての校舎の屋上には先客がいた。教え子の榊原 修一郎(さかきばら しゅういちろう)だ。安全柵の外側に出て、脱いだ靴は揃えてある。その隣には眼鏡と「遺書」と書かれた封筒。どう見ても自殺である。
 「来ないで! 僕は死にます!」
 修一郎は叫んだ。しかし博は猛然とダッシュして、華奢な修一郎の体を掴み、鉄柵の内側へ引きずり戻した。修一郎は暴れた。博のツーブロックの頭頂部を掴むなどしたが、しょせんは高校2年、16歳だ。37歳体育教師の腕力なら、簡単に組み伏せられた。
 「死なせて!」
 修一郎は叫ぶ。ボサボサの髪を振り乱す。隙間から覗く大きな瞳は月明かりで輝いた。縄張りを侵されて暴れる猫のように。
 「やめろ」
 「死なせてくださいっ」
 「やめろ!」
 「でも――」
 「『でも』じゃねぇ!」
 修一郎は暴れるのをやめた。博は「よしよし」と噛みしめるように言って、「話せよ。どうして自殺なんか」と続けた。
 「それは、その……」
 話し辛いのか。当然だ。死ぬほど悩むというのは、つまり誰にも話せず、あの世に持っていくしかないということだ。その気持ちはよく分かる。だったら――。
 「あれを見ろ。あれはストロング酎ハイと言って、魔法の酒だ」
 博が地面に転がっている缶を指さした。すると修一郎も
 「ああ、あれが噂の……」
 「オレんちで、あれを飲もう。少しは話しやすくなるぞ」
 修一郎が顔をしかめた。
 「僕、15ですよ」
 「オレが許可する」
 2人は立ち上がった。博は散らばった缶を集めて、修一郎は脱いだ靴を履いて、眼鏡をかけた。
 「話せ。先生と生徒だって思わなくていいかんな」
 「……先生、引かないですよね?」
 「なんでも聞く。引いたりするか」
 「わかりまし――あっ、先生はどうしてここに?」
 そういえば、俺も自殺に来たのだった。博は一瞬、考えた結果
 「あとで話そうぜ。そのへん」
 先送りにして、修一郎と屋上を後にした。

 翌日、2人は学校を休んだ。二日酔いと徹夜が原因だ。そして昼頃、博は修一郎から電話をもらった。
 早朝に家に帰ったら、夜中に消えたこと、泥酔していることで、両親に物凄く怒られた。けれど先生のことは話していないから安心して。それと、また先生の家に行きたい。だから先生も自殺なんてしないでほしい。
その電話を切ると、博は二日酔いで痛む頭を抱えた。
 教師は続けるかはさておき、死ぬタイミングは逸した。死ねなくなったし、死ぬほど嫌な教師という職を辞めるべきか。そもそも教え子と酒を飲んだのがバレたら即クビだ。でも、修一郎の面倒はみたい。自分と似たような理由で死のうとしていて、しかもあいつはずっと若い。昔オレも同じように悩んだし、なんとかしたいが……そもそも俺の自殺はどうなる? と言うか酒に酔ったくらいで忘れる悩みだったのか。オレはそんなに軽い人間だったのか。いや、違う。やめたのは酒のせいじゃない。修一郎という先客がいたせいであって。ダメだ、考えがまとまらない。
 二日酔いで痛む頭を抱え、博は布団の中で丸くなる。先には不安しかない。しかしとりあえず、次はストロング酎ハイはなしだ。

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