短編BL_006「全部先輩のために」

卓球には2対2で行うダブルスという試合形式がある。選手は2人交互に打球を打たねばならない。このためダブルスの選手には、シングルのように対戦相手の打球を2人が同時に見極めつつ、それに応じて即座にパートナーと立ち位置を変える柔軟かつ複雑なコンビネーションが求められる。

 「足引っ張っるな。ブッ殺すぞ」
 「うるせぇ。そもそもテメーが邪魔なんだ」
 こんなのはよくない。それは重々承知だが、売り言葉に買い言葉だ。足を引っ張るなんて言われたら、頭に来て当然だろ。
 八神 祐樹(やがみ ゆうき)は、横にいる金髪頭の神部 兵馬(かんべ ひょうま)を睨みつける。そして兵馬が「あぁ? 誰が邪魔だ」そう言って振り返ったところに
 「てめーだよ。てめーが邪魔だって言ってんだ。無理に点を取りに行きやがって」
 祐樹は追い打ちをかける。高校三年生、最後の夏の大会だ。ここで勝てれば、うちの学校は全国大会に行ける。一年生の頃に大好きだった先輩の酒井誠(さかい まこと)が「いつか全国まで行きたいよなあ」とよく話していた。そこまでもう一歩なのに、こんなヤツのせいで台無しになるのは我慢ならない。「楽がしたいから」と卓球部を選んで、運動神経がいいだけでレギュラー入りしたようなヤツに。
 兵馬がタオルを床に投げつけた。
 「今なんつった、おい。こっちは必死でやってんだよ。ケンカ売ってんのか、おい」
 2人の距離が縮まり、周囲がざわつく。祐樹はチームメイトたちの不安を感じた。無理もない。以前、似たような感じで殴り合いになったことがある。公式戦、しかも全5セットの試合の5セット目の直前だ。殴り合いになれば試合をする前に全てを止められる。
 だが、兵馬は祐樹の胸倉を掴んだ。
 やる気かよ。上等だ。
 祐樹はそう思って拳を握った。怒鳴るために息を吸った。全てをブチ壊す決意をした。
 しかし兵馬は大きく息を吸って――
 「ごめん」
 ――は? 祐樹は眉をしかめた。3年間、この男と一緒にプレイしていて、頭を下げられたのは初めてだ。
 「最初にケンカ売ったのはオレだ。それは謝る。てめーがオレを嫌っているのもわかる。だけどな、今はやめろ。オレは勝ちたいんだ。この試合は、絶対。いいか?」
 兵馬は叩き捨てたタオルを拾い、顔をうずめて再び深呼吸する。
 「いいか? オレらが1年の時にいた、酒井先輩がいるだろ。オレ、昨日あの人と約束したんだ。オレらは絶対に勝って、先輩が行きたがってた全国に行きますって。だからよ、オレらは……」
 「待てよ。てめー酒井先輩と仲いいのか?」
 「急になんだよ」
 「だから酒井先輩と仲がいいのかって聞いてんだよ」
 信じられない。酒井先輩はいつも黙っていて、ほとんど他の部員と話さなかった。みんなが遊んでいる時でも黙々と練習をする。その姿がカッコよくて、祐樹は興味を持ち、話しかけ、いつの間にか言葉を交わすようになったのだが。
 「お、おう。仲良くなったのは、卒業したあとだけどな」
 「どこで?」
 「オレがよく行くパチ屋の常連だよ。フツーに仲良くなった。で、よく言われんだよ」
 兵馬の声はすっかり落ち着いていた。どこかあの日の、酒井先輩のような。
 「オレらの代で全国、行きたかったな」
 「あの人、てめーにも話してたのか」
 祐樹は同じ言葉を聞いたことがあった。引退試合の試合が終わったあと。汗だくになった酒井先輩は、あきらめの微笑みを浮かべながら同じことを言った。
 「あ?」
 兵馬が聞く。
 「オレも同じことを言われた」
 祐樹が答えると、兵馬は少し黙った。そしていつも以上に静かに呟く。 祐樹の胸倉を掴む手から、力が抜けた。
 「……そっか。お前にも言ったのか。そりゃ……よっぽど行きたかったんだな」
 「だろうな」
 祐樹が答えると、兵馬が言った。
 「やろうぜ」
 そして兵馬は
 「オレが下がった方がいいのか?」
 祐樹は応じる。
 「ああ。てめーは防御の方が上手い。攻めるのはオレに任せろ」
 「わかった。次で最後だ。任せるぞ」
 「ああ、任された」
 そして2人は、同じ言葉を言った。
 「負けねぇぞ。絶対にな」

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