カラオケ太郎@人見知り

30歳に着々と近づいている今日この頃。生粋の人見知りとして生きてきたけれど、自分の人見…

カラオケ太郎@人見知り

30歳に着々と近づいている今日この頃。生粋の人見知りとして生きてきたけれど、自分の人見知りに向き合って、人見知りを改善していきたいアラサー男。カラオケ大好きヒトカラマン。Twitterやってます。https://twitter.com/karaoketarooo

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  • アラサー独身男の人見知り日記

    30歳に着々と近づいている今日この頃。生粋の人見知りとして生きてきたけれど、そろそろ「人見知りなので」という言い訳も苦しくなってきた。自分の人見知りに向き合って、人見知りを改善していきたいアラサー男の日記。

最近の記事

人見知りが初めて相席ラウンジに行ってきた話

その金曜日は、前日から溜まった仕事を処理していたせいで3時間程度しか寝ていなかった。いつもなら早く帰って寝るのだが、会社の同僚の誕生日祝いで、21時頃から5人で焼き肉へ行くことになった。気心の知れたメンバーで肉だ酒だと盛り上がり、睡眠不足など忘れてしまうような楽しい時間だった。 そして相席ラウンジへ腹が膨れて酒が回って、血糖値も気分も高まった僕たちは当然のように2軒目へと向かった。こういう時、僕は「どこへ行こう」とか「何をしよう」とか、何もアイデアを出さない。ただついていく

    • 人見知りであることと、ヒトカラにばかり行っていることの根本は一緒だと思う

      僕はカラオケが好きだ。平均すると週に1度くらいのペースで通うほどの愛好家。特に一人で行くカラオケ=ヒトカラが大好きで、Twitterもカラオケに関して発信するアカウントを持っている。 昔はカラオケが大嫌いだった僕が、何故これほどまでにカラオケが好きになったかは過去に別のブログで書いたので見てほしい。 カラオケを好きになったきっかけ ヒトカラ好きと人見知りは根本が一緒だカラオケ好きになったのは大学時代のある出会いがきっかけだったが、ヒトカラに通うようになったのは別の要因が

      • 一人で過ごす時間はとても大事で、一人でいるなら暇じゃんっていう人とは表面上は分かり合えても心の底では通じ合えないと思う

        食事会、飲み会。 あなたは好きですか?親しい仲間と顔を合わせて語らい、打ち解ける。そんな素敵な時間。そんな集まり。多くの人が積極的に参加し、参加するのが当たり前だと思い込んでいる。 僕はね、それは違うと思うんですよ。 大学1年の7月。入学して、新しい仲間と知り合って3か月。まだ親しいとは言えないのに、仲間を作るために無理して虚構の関係を作り上げる期間。みんな例外なく、仲良くない人間と仲のいいフリをして、それっぽい関係を築いていた。名前も知らない相手に笑顔で会釈し、食堂で

        • 新入生として参加した新歓で孤立したことがあるか?俺はある。

          新入生歓迎会。略して新歓。 新人・新入生を歓迎すること。新歓(しんかん)とは - コトバンク 人によって新歓のイメージは異なるだろう。新しい出会い。楽しい時間。 だが、人見知りにとって新歓とは地獄。歓迎は歓迎でも、行きつく先は地の底。ウェルカムようこそ地獄へ。 全員知らない人の中に、薄ら寒い愛想笑いだけで突撃するのだ。戦場に爪楊枝1本で挑むようなもの。それは勝ちの見えない戦。 人見知りで鳴らしている僕も、大学時代にはサークルに入ったため、そんな地獄を体験している

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        • アラサー独身男の人見知り日記
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        記事

          少年時代の出来事は人見知りを加速させる

          いつから人見知りになったのかは覚えていない。実家のタンスの上に飾ってあるフィルム写真を見る限り、4歳の頃は知らないお姉さんに笑顔で駆け寄っているので、当時は人を見知っていなかったようだ。ただ、その頃の記憶は写真以上にセピア色にあせているし、写真立て以上に埃をかぶっている。 ただ、「自分が人見知りだ」と感じたのを明確に覚えているのは小5の時のことなので、その前には人見知りになっていたんだと思う。 船で知らない連中と北海道に向かった小5の夏経緯ははっきり覚えていないけれど、5

          少年時代の出来事は人見知りを加速させる

          人見知りにさよならを言いたくて。

          僕は人見知りだ。 これまで出会ってきた人々の数が多いわけではないが、自分より人見知りな人間には出会ってないかもしれない。 それくらい、人見知りだと思っている。 そもそも人見知りとは何か。 人見知り(ひとみしり、英: Shyness)とは、従来は子供が知らない人を見て、恥ずかしがったり嫌ったりすることである。大人の場合は「内気」・「照れ屋」・「はにかみ屋」・「恥ずかしがり屋」の言葉をあてるのが標準的である。社会心理学では、社会的場面における上記のような行動傾向をシャイネ

          人見知りにさよならを言いたくて。