言論に対する批判によって人格を非難されたかもしれないので説明する

次のようなツイートをしたところ

次のようなツイートを目にした。これらが上への反応であると仮定する。

身を切る様な気持ちで書いた文章に .. 怪文書とか一言で引リツして .. わざわざ書く人はなんなの

前者は「大堀龍一には」と対象を明確にしたうえで「人間の心がない」と直接的な表現をしている。また、発信者は Twitter で相互フォロー関係にあるため、私の目に触れることは容易に想定できる。後者は「怪文書とか一言で引リツして」という特徴と投稿日時から反応であると推測でき「人はなんなの」と、疑問を呈する形式をとっている。私としては初めて見るアカウントであったため、私が目にすることは想定していなかった可能性があるが、共通のフォロワーも数名いたので見たり引用したりしてもおかしくはないであろう。

個人的には、私が受けた程度の非難/疑問であれば気にならないものの「内容に対する批判より、人格を非難することのほうが正当と考える」「通知が飛ぶような形式より、噂話や陰口の形式を正当と考える」ことは珍しいと思った。

「人はなんなの」に対しては「はい、人間の心がない人格破綻者です。なにも立派なところはありません」とでも答えるしかないが「怪文書とか一言で引リツ」という行動の背景については説明してもよいと思った。

一言

考えてその結論だけを書くのに比べて、過程や根拠まで書くのにはエネルギーや時間のような資源が必要であり、その時点では他の行動との関係で割当を行わなかった。

引リツ

リンクを明示する目的で、Twitter の標準的な機能を用いた。

怪文書

文書であることは自明である。直接リンクしておく。

次に「怪」を感じた部分と理由を挙げる。

「競技性を歪めるので」と理由を明示して「沢崎さんの打牌は嫌いです」と述べた「平澤さん」(注: 平澤さんが実際に述べた内容であるかどうか私はチェックしていない) について「サクラナイツのファンのことが嫌いなんだろうなと推測した」根拠として、明示された理由とほとんど無関係と思える「沢崎さんが .. サクラナイツのファンのために .. を嫌いであると否定されたので」を挙げ、暗黙に「打牌を嫌いな理由が1つでも存在するなら、打牌の動機も嫌いである」を仮定していたため。

「レギュラーシーズンは選手が主役、オフシーズンは裏方が主役であればいいな」と述べているが、選手以外をすべて裏方と一括りにしており、監督のように、たとえばスポーツであれば試合後のインタビューなども当然のものとして受ける立場に対する理解が不足しているようであったため。

Accountability と「結果責任」との関係が私と異なったため。Accountability は主に政治方面で使われる用語であると思うが、有権者は政治家や政策を結果だけで判断するのではなく、それに対する説明の妥当性も加味して投票行動するはず/べきという考え方であるはずだ。

打牌に「人生を重ねて見」る観賞 (鑑賞) 行為と、切り離して議論する行為との両立に「相応の対価を提出し」または「麻雀界の人間」として「責任」をもつことが必要としているが、視聴することによって時間という対価を提出し、広告料の形で対価を提出することや、議論の内容によって人物として評価されるような (「結果」) 責任のとりかたについては無視され、何も定義のない「麻雀界の人間」に特権を与えているため。

自分のおぼえた違和感について「多くの視聴者が違和感をもったとするのであれば」と勝手に主語を拡大しているため。

「無料で問うことにいやらしさを感じ」ると述べているが、打牌に関する議論についての形式をMリーガー本人に説明を直接に求める場合に限定しなければ成り立たないため。

主には以上。

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