「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」の裏テーマに込められた皮肉

 今日の深夜に放送される「イシナガキクエを探しています」の第二回に今から期待が止まりません。こういうモキュメンタリ―が持つ独特の質感というか、自分のすぐ身近で起きてしまうのではないかと思ってしまうリアリティがもう大好きです。
 今度はどんな仕掛けが施されているのか、今から期待が止まりません。

 プロデューサーの大森氏が作るモキュメンタリ―のスタイルは、どれも「一見するとただのバラエティ番組でありながら、よく注視するとその裏には恐るべき真実が隠されている」というものです。
 例えばタイトルに挙げた「奥様ッソ」は、「頑張る奥様を芸能人奥様がお手伝いする家庭密着型バラエティ」という体で進行していきながら、話が進むにつれその家庭の歪さが露呈していき、最終的にその家庭が壊れたことが明示される作品スタイルです。
 どんな仕掛けが施されていたか、それがどう面白いかは既に多くの人々が言及しているので今更何を言ったところでと思いますが、その2作品の作り方、具体的には隠されて真実という作品の裏テーマが、非常に皮肉が効いたものになっていたにも関わらずあまり言及されていなかったので、ここに書こうと思った次第です。

 以下は「奥様ッソ」のネタバレに触れますが、こんなニッチな記事読むのはもう見た人しかいないと思うので大丈夫でしょう。

「奥様ッソ」は「大家族編」と「田舎編」の全く別な二つの話がありますが、両者に共通する点として、「娘に性欲が向けられたことで正常だった家庭が破壊された」ということが挙げられます。
「大家族編」は父と娘が密通し、娘が母に尋常ならざる妬みを向けた結果、母が大切にしていた犬をハンバーグにして食べさせたうえにその母本人も絞殺されてしまいます。
「田舎編」は村に巣食っていたカルト宗教に両親がハマってしまった結果娘が教祖に差し出されてしまい、教祖との性交渉を拒んだ結果やはり殺されてしまいます。
 両者共に「娘が大人の男に性欲を向けられる対象となっていること」、「その結果正常だったはずの家庭に死者・逮捕者が現れ崩壊してしまうこと」が共通していることが分かると思います。

 この家族が崩壊することがテーマにある作品で、両作の動機に「性欲」を持ってきたことに、僕は感心しました。
 だって、家族が出来る理由、由来も性欲から来るものじゃないですか。
 子持ちの家庭というものは、いくつかの例外を除くと基本別性の二人が性交渉を行うことで成立するものです。誤解を恐れず大雑把に言ってしまえば「性」という概念が無ければ家庭は成立しないと言って良いかもしれません。
 ところが番組で取り上げられた二つの家族は、その「性」が理由で破綻まで追い詰められてしまったのです。
 ここに大きな皮肉があるとは思いませんか。

 更に言えば、家族が「性」から出来るものというのは、常日頃隠されて見えないようにされている概念になります。
 一方でこの番組も、画面に映っている家庭が性によって壊れようとしている予兆、目に見える違和感を敢えて取り上げず、決定的な瞬間を映さないように工夫が施されています。
 このような演出も、家族が持つ一つの性質に敢えて寄せたものなのではないかと僕は考えるのです。

「作者の人そこまで考えていないよ」と言われるような話ですが、もしここまで考えて仕掛けていたのだとしたら、中々テレビも侮れません。
 果たして「イシナガキクエ」にも、このような大きな皮肉が隠されているのか。何時放送なのかいまいちわかっていませんが、ガールズバンドクライも見たいのでその辺からずっとテレビは付け放しにしておこうと思います。

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