2020年のこと

1月
死ぬほど忙しいクソ業務が続く。年末に入れたDTMソフトを使い始める。月半ば、胃腸炎で40℃オーバー。

2月
長年の友人の結婚式で数回目の下関へ。飛行機は快適。

3~6月
新型コロナウイルス本格化。職場の売上減少。
出勤のたびに胃が痛く、胃薬を飲み続け。さらにストレスで酒量が増える。職場の人間にガチの殺意が湧き上がり続ける。人はこんなにも人を憎く思えるのだと知る。客層も最悪で、人間が愚かであることを毎日毎日思い知る。しかし精神は病まず、むしろ俺のエンジンに次に向かうためのガソリンがどんどんブチ込まれていき、一時期頭がイカれる前よりも数段頭が動く。求人が減少する中、気合を入れた転職活動で面接が決まりまくる。

7月
転機。一社から内定をいただき、俺のやりたいネットショップだったのと現職場のストレスが限界を超え始めたので迷いなく転職。

8~9月
前任者の引き継ぎ、及び各ECモールのマニュアルを読みまくる。特にA社のモールはなんとしても売上を落とさないでくれと言われ重点的にウェブセミナーなどを受ける。広告がGoogleのものと似ていたので楽しくなってくる。たった一種類でもGoogle広告の認定資格取っといてよかった。

10~12月
繁忙期に入る。売上を伸ばし、さらに求められるモールで利益率も毎月前年比150~200%を達成。自分の中で確かな手応えを感じ、来年以降もガッチリやっていく決意をする。働きすぎで腱鞘炎になりかける(継続中)

今年は新型コロナウイルスによる様々な影響があった。前職場の売上が目に見えて減り、かといって何も手を打たない、むしろ悪化させる無能も見た。そして失業や収入減の話が吹き荒れる中、目標としていた転職が達成できたことは非常に大きいことだと思う。ありがたい話だ。そして外に出るのを控える状況がネット通販を後押しし、職場での目標値も達成できた。なんやかんやあったけど、前職を下積みとしてとりあえずの土俵に上がれたように感じる。ここから先は言い訳もなにもない。俺の頑張り次第だ。でも本当は状況なんていつだって頑張り次第で、今までは頑張りもせずに運を天に任せていた。うまくいくはずがない。人事を尽くしてないのに天命を待つのは、はっきり言ってアホのすることだ。まあ端的に言えばこれまでずっとアホだったのだ、俺は。
状況や情勢で左右されることは、ある。それは間違いなくある。しかし、だからどうだというのだ。俺は自分のコントロールできる範囲でやっていくしかない。全てに言える。
今年の頭から始めたDTMで、オリジナル曲の枠組みが6曲できた。来年以降に詰めていく形になるが、よくもまあこれだけいろいろやって時間を作れたもんだと思う。でもこれだって俺がコントロールして、できないと思う前にやってみただけの話だ。まずやってみてから考える。どういう状態になろうとも、やった先でなんとかするだけなのだから。
転職をし、仕事をする。音楽を作ってみる。これまでやってきた考え方、学んだ方法は何かしらに活かせる。無駄になることは基本的にない。無駄だと思ってやっていない限り、何かに活かせる。

今年思ったのは、やったらやっただけ、やったようになるということだ。
やった以上になることはないし、結果もやったようにしかならない。うどんをこねているのに、打ち上がったら蕎麦になったりはしないのだ。
三十数年生きてきて、時間が足りないと思ったのは正直初めての体験だった。これまでどれだけ無為に過ごしてきたのかと考えると薄ら寒くも感じる。だからといって悔いてみても意味がないので先のことを考える。ずっと先のことではなく、すぐ先のことでもなく、程よいくらいの先を見つめる。どうやってたどり着くか、何をしておけば有利なのか考える。日々考えることだらけだ。体も脳も使わないと衰える一方だ。
以前のエントリーでこのように書いた。

後悔なんて山ほどある。明るい未来より暗い未来のほうが鮮明に思い浮かぶ。だけど俺たちは配られた手札で勝負するしかないし、その中で最善の手を考えていくしかないのだ。一生、ずっと。

これは様々な作品などから影響を受けた上での言葉だが、配られた手札は、実は強化できる。例えば腕力のあるカードは腕力をさらに強くできる。走力が低くても鍛えることができる。いや、鍛えるというよりも、本当はきっと、もともとそのくらいできるのだ。みんなそう。できるかどうかは自分が決めることではなく、出した結果と自分の楽しさ、満足度のバランスで決まる。できるならやればいいし、できない、また嫌ならやらなければいい。やらなくても最善の手が出せるのであれば必要も特にない。俺はやっていく。それだけだ。

人にどうこうしろと言うつもりもないし、それができるほど大層な人間でもない。俺がやっていることなんて、きちんと積み上げてきた人からみたら児戯に等しい。でも俺はこれで手一杯だ。もちろんまだまだやっていくことはある。しかし、現実として時間や脳のリソースや知識が不足している。これまでの俺は、こういった状況になったとき、結果としてできそうになければやらなかった。結果は結果であっていい。だが、すぐに結果を求めるのも正しいとは言えない。先すぎず、手前すぎず、程よい先を見ながら生きていく。俺にはこのくらいが丁度いいのだと思う。

人生は死ぬまで続く延長戦で、降りることはすぐにできるが、ずっと続かせるためには戦っていかねばならないのだなあと、三十路も半ばに差し掛かってようやく気付いた。
今年の経験を忘れずに、来年も再来年も、その先もずっと生きていけたらと思う。思うだけだ。なぜなら、ずっと先のことを考えても仕方がないから。

今年の俺はそんな感じです。
皆様、一年お疲れ様でした。来年もどうぞよろしくお願いします。

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