俺ちゃんの先送り

問題の先送りについては一家言ある。あってはいけないのだが。
眼の前で起こった問題を先送りにするどころか、新たなる問題の予感にも積極的に目を背けてきた。人間の背中には視覚が無い、まずそのことに感謝をしたい。俺が広い視野を持った草食動物や虫に生まれついていたとしたら、いくら背けても視界に飛び込んでくる現実に心を侵され、精神も侵され、おそらく生きてはいられなかったであろう。当の本人が言うのだ。間違いない。紛れもない主観的事実だ。

俺は問題に真面目に取り組んでは来なかったように思う。その時は真面目に取り組んでいたと記憶しているのだが、どうやらそんなことはなかったらしい。難しい話だ、俺にとっては。
ある時から問題が起こったらすぐに解決するようにした。存外にうまくいくものだなあと思った。それは主に精神面において効果を発揮した。いいように解決できたことがあれば、後味の悪い終わりを見せたものも数多い。しかし、問題を自分の中で消化するためには、まずケリをつけなければならない。一縷の望みに託して先送りにすればするほど、心持ちは悪くなり、不安で食欲が増して腹の持ちも悪くなり、食べすぎて太る。ひいては血圧の上昇、コレステロール値、γ-GTPに大いなる影響を及ぼし、早死することうけあいだ。後半は自分で書いていても意味がわからないが、まあ俺の言いたいことがなんとなく伝わってくれればいい。人間は完全にわかり合うことはできないのだから。

前回に引き続き、ただ思い立ったので書いている。書こうと思ってしまったからには仕方がない。続けるとしよう。
以前のエントリなどで書いたが、20代の後半で頭がおかしくなって、問題そのものを認識できなくなっていた。俺の状態とは関係なく、世の中は移り変わっていく。俺の決着とは関係なく。
今さら何を、と言われるだろう。そんなことは俺が一番言いたい。誰かなんとかしてくれ、とも言いたいが、自分でなんとかするしかない。本現場の責任者は、なんと残念なことに俺一人なのだ。
心の澱を浄化するために、今年に入ってからだろうか。様々な決着を俺の中でつけていっている。別に誰にわかってもらいたいわけではない。自分が生きやすくするためだ。そして問題にケリをつけるからこそ、次に進めるのだ。
望みなどは初めから持たないほうがいい、などという厭世的なことを語るつもりはさらさらない。望みは持って然るべきだ。持たないものから死んでいくのだ。だが、いつまでも唾棄すべき甘い幻想にしがみついているのは良くない。問題を先延ばしにしている間にもチャンスはやってくる。俺にはまだ来ていないし足音も聞こえないが、きっと来る。なぜ来ていないのか?それはまだ俺の問題が解決しきっていないからだ。いや、どうだろう。この頃ようやく解決してきた気がする。

俺の好きな漫画の中で『片付けることはカタをつけることだ。だから部屋の掃除をしろ』というセリフがある。初めて見たときには「そんなことくらいでカタがつくくらいなら、部屋どころか山奥の不法投棄まで片付けてやる」と思った。そのとき、我が部屋は惨憺たる有様であったことは忸怩たる思いを持ってお伝えしておかねばなるまい。
結局、そういうことなのだ。部屋を片付け、過去にカタをつけ、自分の中で決着とも言える着地点を見つけない限り、生涯すべてがとっ散らかったままなのだ。
今の部屋は昔ほど散らかってはいない。以前の部屋に父親が遊びに来た際、あまりの惨状に声を失っていたことを思い出す。そのときも「部屋は心の鏡」と言われた記憶がある。冷酒と親父の小言は時が経ってからやけに効く。結局、そういうことだったのだ。

ケリをつけることは精神に作用する。判断の瞬間は非常に痛い。心のデリケートな部分が鉋で削られたり、五寸釘を打たれたりするように痛い。人間関係、異性関係、過去の自分、すべては同じように痛い。なぜ痛覚もない部分が痛いのだろうなあと毎度不思議に思う。しかしだ、だからといって避けて通れる道ではない。心の膿を出すと言ってしまうのは過言だろうか。その後がきれいに治るかどうかはわからないのだから。きれいに治らなくとも、死ぬまで人生は続く。続くのであれば、痘痕になったとしても痛みが少ないほうがいい。
悩みが多いのはいい。人生など大いに悩むべきことだらけで目が回る。だが、悩んだ結果はきちんと出す、もしくは綺麗さっぱりと忘れてしまうしか楽になる方法はない。そして嫌なことほど綺麗さっぱり忘れられないのが人間の性なのである。難しいねえ。

とりあえず俺は最近そういうことをしている。片付け、カタをつけ、思考の通り道を作り、優先順位をはっきりとさせ、心が楽なように生きる他ない。もう人生の半分は経過したのだ。たかだか自分のことくらいで今さら大荷物を抱え込んでどうする。これから俺は決着をつけまくっていくだろう。これは確かな予感である。俺には予感ばかりが大いにある。その予感が、これまで物事を先延ばしにする唾棄すべき甘い幻想を連れてくる原因でもあるのだが。まあやっていくんじゃないかな、それなりに。オチとかは特にない。俺の心の備忘録だ。
それでは諸君、あとしばらく人生を頑張っていこう。

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