素晴らしいもの

「この腕はもうだめですね。取り替えておきましょう。こちらのBタイプなら保険が適用されて安く付け替えられますよ」

百年ほど前から、街の診療所でも普通に体のパーツ交換ができるようになった。一度だけ体に機械化適応手術を施せば、体の至るところまで交換が可能だ。機械化適応手術は国立病院でのみ行うことができる。短時間で何人もの手術ができるので、今や国民のほとんどが手術を完了している。私もその一人だ。

技術が確立された頃は倫理的に問題があると反対していた議員たちも、その利便性には抗えなかったのか、全員が機械化適応手術を済ませている。この流れは機械化された体のパーツを作成するために雇用問題を始め、高寿命化を支える医療費の削減にも抜群の効果を発揮した。以前なら死に至るような病気や怪我も交換すればいいだけなので、長期の入院や通院は必要ない。

機械化されたパーツといっても、古めかしいSFのように剥き出しの無機質なものではなく、体温を感じられる程に柔らかく温かい。もちろん個人的な趣味として金属部分が剥き出しのものも販売されていて、前衛的なファッションとして扱われている。

事故や病気などの死亡率は右肩下がりで、人がほとんど死なない時代となった。では人口は増えたのかと言われるとそんなことは無く、増えなければ減りもしない状態で推移している。パーツは腕や脚に留まらず、内臓も交換が可能で、精巣や子宮まで機械化することができる。機械の生殖器官では子供を作ることができない。技術が進めば可能になるということだが、今のところはまだそのようなニュースは聞かない。
原因は機械化だけではない。人がなかなか死なない時代になり、寿命も格段に延びた。子を産み育て、次の時代に繋いでいくことよりも、長い人生を使っての自己実現などに重きを置かれる社会となった。そして長い人生を実現するためには体の大部分を機械化しなければならない。そのために生殖器官なども機械化され、出生率が下がったという側面もあるのだろう。

なかなか死なない時代に合わせて、別の法も整備された。安楽死が認められたのだ。申請をして、施設で研修のようなもの受けた後、それでも希望する人は安楽死をすることができる。長すぎる人生に生きる意味を見失い、精神を病む人も少なくない。そのための救済措置といったところだろうか。しかし、その研修を受けてなお安楽死を希望する人は滅多にいない。余程素晴らしい研修なのだろうか。内容は誰も語らない。ただニコニコとして「よかったよ。人生は素晴らしい」と話すだけだ。

人生は素晴らしい、これは昨今のテレビやネットでよく聞く言葉になった。議員も一同、声をそろえて言う。一体、何が素晴らしいのだろうか。確かに寿命は長くなったし、病気も怪我もすぐ治る。それに経済だって発展している。明日に希望が持てる社会状況になったと感じる。しかし、それでも精神を病む人間がいるのは事実だ。どんな環境や状況においても精神を病む人は必ずいる。安楽死まで考えた人を100%近く思い止まらせる研修とはどんなものなのだろうか。それが気になり、私は安楽死の申請をした。

申請から案内まで、全てがスマートフォンで完結する。そして迅速だ。申請後、五分後には案内の連絡が入り、一時間後には施設にいた。町中に溢れるビルの中の様々なところに施設はあり、申請をすると最寄りのビルですぐ研修が受けられるようだった。

受付で、張り付いたような笑顔の女性にスマートフォンを預け、個室に通される。一人掛けの厳めしいソファに座っているとスーツ姿の男が現れた。本人確認をされた後に、男はこう話しかける。

「どうして安楽死を申請したのですか?こんなに人生は素晴らしいのに」

別に本当に安楽死をしたかったわけではないのだが、とりあえずこう答えた。

「はあ、なんだか生きる目的が見えないのです」

スーツの男は「ふう」と大きく息を吐き、スラックスのポケットからリモコンのようなものを取り出した。ボタンを押す仕草が見えた瞬間、私の体は動かなくなった。

「機械化適応手術を受けたときに説明は無かったと思いますが、手術の際に埋められたチップによって現在あなたの体の機能は八割ほど停止しています。では、これから研修を始めます」

男が近寄ってくる。しかし体は動かない。やめてくれ!
目の前でリモコンを操作すると、こめかみに違和感があった。

「今からあなたの精神パーツを交換します。電池の交換みたいなものなので安心してください」

声を聞き終わるころ、私の意識は遠くなっていた。



私は個室を出て受付に向かった。女性が張り付いたような笑顔のまま、私に問う。

「安楽死の申請はどうなさいますか」

「取り下げます。だって、人生はこんなに素晴らしいのだから」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?