勤めに出るということ

昨年の5月から約一年間、俺は自宅での作業をしていた。かっこよく言えばフリーランスだし、かっこ悪く言えばその日暮らしだ。まあぼちぼちとやりながら過ごしていた。きちんとした就職先を探す活動を同時に行っていたが、全く手応えはなかった。面接に行っては帰りの電車で絶叫しながら暴れまわりたくなるくらい最悪だった。バイトも受けた。バイトも落ちた。八方塞がった。俺のようなものはどこにも受け入れられないんだとヤケになって飲んでいた。俺の地を輸血したら酔うんじゃね?くらい飲んでた。

きっかけは特になかった。いや、あったのだが何というか、俺の中のスイッチが切り替わっただけのことだ。

「俺、このまま惨めに死んでいくんだな」

そう思った時、震えた。全盛期の西野カナよりも震えた。震度6弱くらい震えてたし、生後一分の赤子より泣いた。

その日からとにかく、働きに出ないと俺は死ぬと暗示をかけて働き口を探した。バイトでも何でもいい。俺がやりたい方向性のもので、今後に繋がるものを。正直もう若くない。というか普通にオッサンだ。だから時間を無駄にしてはイカンと思った。

Indeedに張り付いて検索して、条件を緩めたり締め上げたりした。書類で何度も落ちた。めげそうにもなった。でもここで諦めたらもう浮上の目はないということはわかっていた。何度も心は折れたことがあるし、その度に這いつくばって生きてきた。いや、生きてきたというよりも、時を貪っていた。その経験が予感をさせる。

「ここで頓挫したら一生このままだぞ」

何通も書類を送り、何度も落ちた。しんどいな、と心底で思い始めた頃、一件の企業が面接の機会をくれた。ここぞとばかりに気合を入れて面接に向かい、喋った。必死に喋った。どうやら先方が求めていた人材に少し重なる部分があり、採用通知を貰った。
さらにもう一件、ダメ元で受けたところがあった。頑張って喋ったが、帰りの電車で頭を抱えてた。これ無理だろ。ところが数日後、採用の通知が届いた。

現在掛け持ちをして、家では引き続きダラダラと画像を触っている。端的に言うとトリプルワークだ。画像はできる限り早く辞めるが。

段階を踏み、目標に向かっていく。

ツイッターで辛いとかしんどいとか書いたりはしているが、家で作業をしていたときよりも格段に充実しているし、何らかの実感もある。休みが欲しくもある。いやぶっちゃけ超欲しい。でも仕方ない、俺はやりたくてやっているのだ。

俺は一度、精神を病んだ経験がある。精神をやった人なんでそこら中にいる。その人達には二種類あって

「まだイケるやん!」

「もうアカンわ」

に分かれる。もちろん治療で良くなったり良くならなかったりするので一概には言えないけど。
俺は後者だった。だったのだが、奮起するきっかけをいろんな人からいただいた。あとは最初の一歩をどう踏み出すかで決まると思う。根性論は好きではない。むしろ嫌いなのだが、できるかは自分次第だ。
ヘンリー・フォードの言葉にこういうものがある。

『本人ができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしてもその人が思ったことは正しい。』

これは辛い時に思い出す言葉の一つだ。本当にこの通りで、できないと思ったらできないのだ。それは自己啓発とかではなくて、わかるのだ。できないものは本当に無理。それは多分自分に合っていないこと。だが、できるものはできる。それだけの話だ。

病気になったことが俺のメインコンテンツであってはならない。何事もなかったかのように再起しなければならない。
これは俺の理想で、目標だ。

ツイッターにこんなことを書いた。

本当にこれに尽きるので馬鹿な俺は日々やっていくしかない。

偉そうに書きましたが、予定は未定です。また大爆死するかもしれないし、その可能性は割と高いです。
もしも途中で俺がへばったら、その時は優しくしてください。その優しさでまた頑張れるかもしれませんので。
皆さんも日々やっていきましょう。

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