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障害があるのは「個人」ではなく「社会」〜恋じゃなくて愛が地球を救う〜

おはようございます。

週末はまぁ見事にコロナ療養。

僕「鼻水!」
妻「せき!」
子「お熱!」

「三人合わせて“コロナ!”」

ってどこぞのヒーローみたくポーズ決めて叫んでた土曜日。

そして日曜日は僕が微熱ながら発熱してグッタリ。妻は微熱続きなのにまぁ動ける動ける。
母は強し。いや、父が弱しなのか…
とにかくほんと感謝しかない。

しっかり眠ったおかげか本日はほぼ復調。
ってか仕事休んでらんないくらい忙しいわけで。きっと世の中こんな人多いんだろうな。こうやってコロナは蔓延していくんだろうな。

願わくば感染力が高まったとしても弱毒化して命に支障がないくらいになっててほしい。

今回我が家を襲ったコロナさんはそんな存在だったかな。

去年の今頃、僕がかかったやつは、本当に三途の川がうっすらと見えそうなくらいしんどかった。


さて本題。

障害があるのは「個人」でなく「社会」

この言葉を聞いたことがあるだろうか?

福祉に携わっているとよく聞くが、きっとそうでないとなかなか耳にしないであろう。と思うので今回この件について書いてみることにした。

あなたやあなたの周りの人たちは障害をどのように捉えてる?

社会の捉え方はだいぶ変化してきたが、まだまだ個人には根強いと思う障害に対する概念。

それがこの二つ

障害の「社会モデル」と「医学モデル」

どんなものかというとこんなもの。

「社会モデル」は
「障がい」は社会(モノ、環境、人的環境等)と個人の心身機能の障がいがあいまってつくりだされているものであり、その障壁を取り除くのは社会の責務であるとし、社会全体の問題として捉える考え方です。

「医学モデル」は
「障がい」を個人の心身機能によるものとし、個人的な問題として捉える考え方です。

「社会モデル」は、2006年(平成 18年)に国際連合で採択された「障害者権利条約』において
考え方が示されており、2011年(平成 23年)に改正された「障害者基本法」においても、この考え方が採用されているなど、「障がい」の概念は「医学モデル」から「社会モデル」へと変化しています。

愛媛県庁HP

ざっとネット見た中ではこの愛媛県庁のHPが一番わかりやすかったかな。(言語化を第三者に委ねるnote使い)

だけどわざわざ障害を「障がい」にする必要はないと思う派。

真に社会モデルの精神が根付いていれば漢字に気を使う必要はないんじゃないかなと思ってる。障害はどこまでいっても障害だ。ただ、対象が個人なのか社会なのかだ。

僕はこの社会モデルが世間一般の心の奥底まで浸透していくことがこれから社会を良くしていくことに大切なことなんだと思っている。

ちなみに今日この記事を書いたのは24時間テレビをチラッと観たから。

そして本題にダサいサブタイトつけたのも、ここからが今回本当に書きたかったことだから。


僕は24時間テレビ肯定派。製作側は想いをもって募金を集めそれを還元している。その活動は素晴らしい。何より素晴らしいのは「知る機会」の提供。マイノリティはマイノリティなだけに知られることが困難。マイノリティであろうとマジョリティであろうと無知は恐怖なのだ。だから大規模に発信してくれる媒体にマイノリティが乗ることには大いに意味がある。

ただ、障害のある人を過度に頑張らせたり、強烈な感動を引き出さなくてもいいかもとはちょっと思ってる。いや、ちゃんと自発的に、意欲を持ってやってるってならそこはごめんなさいなんだけど、それならばわざわざ一年に一回の舞台でなく、もっとコンスタントに発信して欲しい。

なぜなら

強烈な感動=差別化だと思ってるから。

例え製作側が意図を持っていないとしても

そもそも障害を持っていることで
「自分にはない」「自分とは違う」
と世間は見てしまいがち。

そこからさらに
障害を持っていなくても大変であろうことを
障害を持っている人が成すことで
「自分にはない」「自分とは違う」
を増幅させてしまうと思っている。

コレはもちろん受け手の力量の問題も大きいのだが、公共の電波で受け手の力量を求めるのは厳しいだろうときっと製作側も気づいていると思う。

それでも賛否巻き起こるこのいわるゆる「感動ビジネス」と呼ばれる製作スタイルをとるのには、注目を集めることで莫大な募金が入り、それを還元できるという意図が働いているのだと勝手に思っている。

確かにお金は大事だ。この募金が「福祉支援」「環境保護活動支援」「災害復興支援」に使われていることはとても大きいと思う。

だけど、今の24時間テレビの役目はそこだろうか?もちろん募金活動も大切なことは分かっているただ、時代は流れているのにやり方を変えていない姿勢には疑問を抱いている。

24時間テレビのコンセプトは長らく変わらない

「愛は地球を救う」だ。

「募金は地球を救う」ならば
コンセプトとして間違っていない。

しかし「愛」なんだから
愛を集め、愛を広げていくことが最大の使命なのではないだろうか。

今の24時間テレビは「恋」を主体として扱っているように感じる。恋はドーパミンやアドレナリンに溢れる。燃え上がるような感情、情動。だから短期間で募金が集まる。

僕は願わくばこれからは「愛」を主体として扱って欲しいと考えいる。愛はオキシトシンやバソプレシンに溢れる。人と人が繋がる感情。穏やかで持続性のあるもの。

そんな中で今回のサブタイトル
「明日のために 今日つながろう」は愛だなぁと感じた。

もちろん愛に目一杯に舵をきることで募金額は減るかもしれない。だけどきっとこの世界を救うのはやっぱり恋じゃなくて愛なんだ。

おわり。

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