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2022年1月の日記~故人に届く誕生日祝いの花束号~

1月*日
お正月。一昨年に鎌倉に越して以来、詣でる寺社仏閣が尽きることはないけれど「今年はどこに行こう?」とひとめぐり思案した末、やはりいつもお世話になっている自宅近くの鎌倉宮と、ザ・鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行くことにした。一足お先に出掛けた長男中2が鎌倉宮でおみくじを引くと17番。17番は「シークレット」だという。商店街のガラガラくじで1等玉が出たような祝福ムードの中、巫女さんが奥から取り出したのは「楽大吉(ラクダイキチ)」と書かれたお札。ラクして大吉なんて、ついているのかぐうたらなのかよく分からないけれど、神社で「シークレット」はないだろう。せめて日本語にしてよと思う。鶴岡八幡宮は予想通りの大混雑。ベビーカステラを食べながら本殿まで並び「友達と映画に行く」という長男と別れ、長女小3と奥さんの三人で由比ガ浜へ。初海詣も済ませて、今年も一年どうぞよろしくお願いします。

1月*日
趣味のスキーを今年はもう一息頑張ってみようとスキーキャンプに参加することにした。去年一度だけ体験入部の気分で参加したキャンプがよかったので、今年は1泊2日で何度か参加することにした。仕事はどこでもできるし、ワーケーション気分。会場は石打丸山スキー場。朝4時に仕事道具も一式そろえていそいそと出掛けた。初日も二日目も見事な大吹雪だったが、キャンプだからそんなことは気にせず、滑る滑る。「家族や友達と来てたら今日は朝から温泉だな」という悪天候の中、みっちり滑っていきなり地獄のキャンプだった。

1月*日
隙間時間を見つけては「アソブロックとは何だったのか」の原稿を書いている。スマホのメモ機能を使って、読み返しては追記して追記して、だいぶ形になってきた。こういう風に20年を元気なまま振り返られるのも、早くに退任するメリットのひとつだと思う。まだまだ現役だから感傷に浸るわけでもないし、全力を注いできたから誰かに意味のある形にして残そうという意欲も湧く。連絡がつく限りのアソブロック参加メンバーに声をかけて書いてもらった原稿も、かなり集まってきた。今年やりたいことのひとつは、この原稿を編集して書籍か小冊子にすること。

1月*日
一昨年に亡くなった母の72回目の誕生日。この日は朝から、団家の親族が参加するグループラインに「典子さん誕生日おめでとう」というお祝いコメントが飛び交う。そして毎年、家族ぐるみで長年お世話になっているTさんから実家に母の誕生日祝いの花が届く。
「亡くなっても誕生日は誕生日ですよ」と、当たり前のことなのだけどそれをちゃんと教えてくれたのがTさんで、ぼくは毎年のこのやり取りを気に入っている。やり取りが習慣化しているからうちの子どもたちは「死んだら記念日が二つになる」と言う。命日と誕生日。誕生日が命日に置き換わるわけではない。

1月*日
家族で近所のもんじゃ焼きに行ったときに不注意で小指を火傷してしまった。「痛むなあ」と思ってビールのジョッキに小指をそれとなく当てていると、店員さんが「もしかして火傷されましたか?」と言って頼みもしないのに保冷剤を持ってきてくれた。なんという目配りと気配りだろう。こういう人は間違いなく仕事ができるので「うちの会社に来ませんか?」とつい声をかけたくなってしまう。
仕事ができることのベースはこういうところにあると思う(医者や弁護士みたいな専門職は別だけど)。例えば5人で行った居酒屋で唐揚げを頼んだ時「4個入りなので5個にできるか厨房に確認しましょうか?」と言われたら思わずその場で「内定」と言ってしまう。ほんとにちょっとしたことなんだけど、「今、ここ」への集中力が違う。その小さな集中の積み重ねが、やがて大きな結果の差を生むとぼくは思う。

1月*日
とある会社の中心として頑張ってくれているメンバーから面談のオファーがありZOOMで話をした。「改めて学校に通いたい」らしい。「それについてどう思うか?」という相談だった。いくつか会社を経営していると、こういう類の相談を受けることは珍しくない。回答はいつも一緒で「やりたいことはやったほうがいいよ」に尽きる。だからそう言う。でも同時に「行けるように自分で応援してもらえる環境を整えることが大事だよ」とも言う。
普段から自由に働ける環境を享受しながら、こういうときだけ「団さんのOKをもらいました」と印籠をもらいたがる人がいる。でもそれはズルい。「自分の人生は自分で決めなさい」「その決めたことをぼくはできる範囲で精一杯応援します」というのが、どの会社においても変わらない私のスタンスだ。だからやりたいことがあったらその実現に向けてまず最大限の努力と配慮をするのは個人の義務であり責任だ。そこを印籠で簡単に済まそうというのは都合がよすぎる。「自分がやりたいことをする」というのはつまりそういうことだと10年以上言い続けて今に至っている。

1月*日
「全国地域定着支援センター協議会」の依頼で60分のZOOM講演をした。最近は講義も講演もZOOMばかりだ。良い面もつまらない面もあるけれど、良い面は「講演前に疲れなくて済むこと」をまず挙げたい。講演を頼まれ訪問すると控室というところに通され、多くの方から挨拶される。それ自体はありがたいことなのだけれど、いちいち気を遣うから講演前にしゃべり過ぎて始まる頃にはもうグッタリ、ということが少なくない。ZOOMではそんなことは起こらないからこれは助かる。ふたつ目にいいのは、講演中にチャットに色々書き込んでもらうことによって一方通行にならないこと。リアルだと話した後に「では質問ある方は挙手を」と仰々しくなりがちだけれど、ZOOMのチャットは聞いているときに気になったこと、思ったことをどんどん書き込んでもらえるので(それを話し終わった後にみんなで見返してまた話す)、双方向感がリアル以上に高く感じられる。
一方でつまらないのは余韻を感じにくいこととお土産がもらえないこと(笑)。前者は会場からの人の引け具合とか、熱量とか、そういうのを感じるのが個人的に好きなのだけれど、それがZOOMでは無になってしまうから残念。後者は、主催者がなんとなく地元の名産とか銘菓を用意してくれることが多いのだけれど、それが家族へのいいお土産になることが多いから。自分で名産や銘菓を調べてわざわざ買いに行く、なんてことはしないから。

1月*日
午後に大学生のNくんが就職相談にやってきた。3社ほどの最終面接を前に団さんの意見を聞きたいという。ひとつは誰もが知る大企業、残りのふたつはコンサル系の新興企業でいずれも名が知れ始めたベンチャー企業だった。本人はベンチャーのどちらかと決めていたらしいのだが、ぼくがある時に「もし身体がふたつあるのなら大企業でも働いてみたかった」と言ったことが引っ掛かったらしく、その真意を聞きに来た。大した意見もアドバイスもできないが、この子はたぶん3社とも内定が出るだろうなあと思った。疑問を持つ力が強いのだ。斜に構えているわけではなくて、素直に「どうして?」と思う。「そんなもんだ」と簡単に納得せず、かといって批判的な態度をとるわけでもなく、答えを欲しがるわけでもなく、内省を深めていける。こういう人材は引く手数多だ。後日、Nくんから「コンサルの1社は最終面接前に社長面接対策という謎の面談を強制してきたので受けずに辞退しました。残りの2社からは内定をいただきました!」とメールで報告があった。そうそう、そういうところ。

1月*日
家族で映画を観に行くことになり相談の結果ぼくは小3長女と「ボス・ベビー」を観ることになった。4~5年前に公開された前作もそういえば子どもたちと観に行った覚えがある。覚えはあったのだが、始まってすぐから「前作を覚えていて当然」のネタがたくさん散りばめられていて、何の準備もしていなかったぼくは早々に集団から離脱するランナーのようについていけなくなった。映画を観終わって、長女に当然のように「あれ、何やった? 覚えてないよなあ~」と共感を求めたら、どっこい長女はことごとく覚えていて更なる衝撃を受けた。「ボス・ベビー」はぼくに記憶力の著しい低下を教えてくれた記念作になった。

1月*日
京都の舞鶴で経営するカフェ「カンマダイニング」においてオミクロン株の影響が酷いことになっている。単月で見れば過去最高じゃないかと思うような赤字が出た。ローカルエリアにあるお店なので、平日は地元のお客さん、土日は遠方からのお客さんがメインなのだけれど、特に平日が空いている。要因は園や学校が休校になることでママたちが昼間動けないこと。ただ、要因分析をしても事態は変わらないので「そんな中でもできること」を考える。「おひとりさま客に限定した今だけ特別メニューの提供」(密を避けながらも心地良い時間を過ごしてくださいの意図)「夕食のメインディッシュになるような総菜のテイクアウト」(いつも以上に家事が大変なママさんの少しでも助けになればの意図)など。そんな状況に陥ったからこそ出会えるアイデアが必ずあって、それが厳しい中でも財産だと思うしかない。