愚痴

昔、母に「何を達成したら仕事辞めても良いのか」と愚痴ったら「とりあえず子育てするなら新人教育やってから」と言われた。曰く「言葉が通じてもままならないんだから通じない相手じゃ何にも思い通りにならないって諦めがつくから」みたいな事を言ってた。なるほどですね。

家探しについてかいつまんで説明するとよく「そんな夫婦と夫婦以外で住むなんて…」「旦那さんは我慢してるんじゃないの」と言われる。といっても既に住んではいて短くはない実績もあるのでそれについてはひとまず置いといて、それを拡張することについて、腰を据えて子育てする気概で中長期的に存続するということについて疑問を呈される。
いや、逆に聞くけどじゃあなんで夫婦なら平気なのさ。夫婦だって他人だし、その点において夫婦だろうが友達だろうが親子だろうが差はないじゃん。他人と住む時点でおもんぱからないわけはないし、その相手が一人だろうが二人だろうが五人だろうが、基本的に一対一の対話をしていくだけの話じゃないか。
私は理性や言葉を信じているので言葉を使える人間であればお前は憎いがその袈裟良いねと言いたいと思っている。まあ、そもそも憎い人とは住まない。お前良い奴その袈裟ダッセーからスタートして、研鑽の末にお互いにお前マイメンその袈裟ファビュラスってなるのが理想。

見込みが甘いんだろう、でもそれはやらない理由にはならない。やらないと予実比も出せない。PDCA回せない。

そんでこういう事を考える一因に子育てを挙げると「そこまでするくらいなら無理して産まなくても」と言われる。違うんだよ、子育てで無理しないために無理せずかけられる梯子がこの家なんだよ。そもそも家が実現して初めて子供を産むか産まないか考えるスタートラインに立とうかな位の気持ちで別に子育てのための家なつもりもない。ただ分かりやすくコストがかかるライフイベントがありうるからコスト低減について考えるきっかけとしただけ。基本姿勢として機会損失は悪だと思ってるので、環境を作ればチャレンジできることなのに環境作りをサボってチャレンジしないのは主義に反する。

しかし、言葉でどうにもならないこともあるよね。ご飯の食べ方とかうるさいし私、そういうとこ良い感じになる仕組みほしい。

とりあえず梅雨が長すぎて辛いのでハワイ行ってみたい

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