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去年



1月

元日は家族で函館まで行って、2日まで1泊した。

かりそめ天国で、函館のホテル朝食バイキング戦争が特集されていて、3軒ほど朝からすごいところがあったのが強烈に脳裏に焼き付いていた。
こんなに朝から食べていいのってワクワクするくらい、海鮮、お肉、たくさん。
12月28日に青森に帰省して、新幹線で1時間ちょっとの函館に行きたいと親に持ちかけたところ、高速で話が進んで、元日に行くことになったのは、驚いた。
意思決定のスピード感。
我が家にはないスピードで、わたしの方が、え行くの?ってなっていた。

ラビスタ函館ベイという、朝食がすごいところに泊まった。
とにかく翌朝の朝食のことだけをみんなで考えていたので、1日の夜は不意にやってきてしまった。
元日の夜なのであまり店もやっておらず、翌日の朝のために、当日の夜を簡単な食事に我慢することにした。

初めての経験だった。
当日の夜のために朝昼を軽くするのはあるけれど、翌日の朝のために夜を弱めるというのは物心付いてから初めてだった。
基本的に三食の順位は、朝<昼<夜なのに、元日から夜<朝になった。
2023年は衝撃の食事序列から始まったのであった(始まったのであった)。
美味しかった。

ちなみにホテルにあった露天風呂は、外が猛吹雪だったこともあって、お湯の温度が38度くらいになっていた。
半身浴にはちょうどいい温度だったものの、半身浴するには下半身が冷えすぎるので、みんな内風呂に集結していた。
みんなで外を眺めていた。


2022年の4月頃からNSC入学まで、社会人しながらアマチュアでフリーライブに出ていて、1月は10本出ていた。
今考えると、それでよく回っていたなと思うし、毎週1本は新ネタをやっていたので、NSC入ってからはどうしているんだ自分とも思う。
あと、大体当日の2,3時間前にネタを渡していたので、相方のYOU Ⅱもめっちゃしんどかったんだろうなと今になって思うくらい、今はちゃんと練習しようと言ってくる。
当時はまだYOU Ⅱではなかった。


1/5にR-1の一回戦を東京 神田のYMCAスペースで受けてきた。
キャパが200以上ある劇場。

信じられないくらいスベった。
200人のスベリが覆いかぶさってきて、身動きが取れなくなるくらいスベッていた。
スベったではなく、スベッていたという第三者的な客観的な表現ができるくらい、冷静にスベッていた。
ピンネタを作ってきたことがなくて、かつピンコントで、何もできずに、2分しっかりスベッていた。
スベりすぎてスペったような気もする。

帰り道、ブルーハーツを聴きながら、歩いて帰った。

この月記を書いているのは2023年の12月末。
R-1グランプリ2024はエントリーしていない。
R-1を卒業ではなく、中退した。


年明けの3連休は初めて日光に行った。
泊まった旅館の温泉が硫黄系で、特有の匂いもまた温泉らしさを感じさせて気持ちいいなと思っていたけれど、帰ってきて洗濯を何回してもパンツに染み付いた硫黄の匂いが取れなかった。
思っているよりも強烈の硫黄にわたしは1泊で、夕食前、夕食後、朝食前、朝食後の4回浸かってしまっていた。
旅行気分は抜けて、目の前のデスクワークに取り掛かっているのに、下着を選ぶタイミングで硫黄を感じる日々が2週間ほど続いていた。
5回ほど洗濯して硫黄が抜けた。




2月

2月は7本ライブに出ていたので、それまでと比べたらやや少ない。
これを書いている12月末の今となっては、どういう心持ちで臨んでいたのかもあまり覚えていないけれど、ちょっとライブが少なめで困ってたような記憶がある。
今考えたら、全然少なくないんだけれど。


2月頭は、棚卸の仕事で名古屋に行った。
クライアントに名古屋支社が多かったので、よく行っており、街並み自体は別に東京と変わらないけれど、やっぱりたくさん食べたくなる名物が多くて、わたしは名古屋に行くのがだいぶ好きだった。
(年明けから始める"予定"のグルメラジオ配信で、名古屋で活動していた"片翼のチキン"の黒岩から名古屋グルメ情報聞くの楽しみだな〜という、なんとなくぼんやりした先の告知でした)

わたしも名古屋に住んでいたら駅の金の時計下で集合していたのかな、といつも思うくらい、そこに人がいる。集合スポットらしい。
でも住んでいたら逆にしないのかもしれない。
ハチ公前で待ち合わせなんかしないし。
金の時計下で待ち合わせる人は、名古屋初心者なんて言説があったりするのかもしれないし、なかったりするのかもしれないし、そもそも今書いていてどっちでも良かったりする。


2月といえばプロ野球のキャンプイン。
わたしは青森出身だけれど、物心ついた頃から親から巨人アンチの血を入れていただいている、生粋のヤクルトファンなので、2月はCSのフジテレビチャンネルと契約して、キャンプ中継を流しながら仕事をしていた。

10時くらいからウォーミングアップが始まって、12:30頃からは主力選手のランチ特打が始まるので、2月だけは昼休憩を12:30からにずらしていた。

プロ野球ファンにとっては、2/1は今シーズンが始まる重要な日であり、ここから楽しみが本格的に始まっていく。
1月あたりからもう、キャンプインだなあと思い始めているけれど。
ただ選手が練習しているだけで、あとは実況や解説がファンなら基本的には知ってる話を画面越しにしているだけなのに、なんだかワクワクして、あとキャンプ地が沖縄なので、自分も沖縄気分を味わっている。

それかもしれない。
沖縄にいるかのような気分、晴れていてあったかそうだなあを楽しみにしているのかもしれない。
ヤクルトファンであり、沖縄ファンなのかもしれない。


2/9は、わたし(と相方なんだけれど、わたしの日記だから"わたし"だけ)にとって、嬉しい出来事が起こった日。

1/22にゴッタニJr.というエントリーライブに出たあと、客席にいたらしいYCA 1期生(今の私たちにとっては2期先輩)の"やまたつ"さんから、面白かったですとDMでご連絡をいただいていた。

やまたつさんとはこの時、接点がなかったので正直最初は「なんの実績も残していないただのアマチュアに声かけてくるなんてどういう魂胆?」と腐った疑いを抱えていた。
けれどYCA 1期生は、相方YOU Ⅱの大学のゼミの先輩で仲良くさせてもらっていた、NSC東京27期の"リサリサの庭"(解散してしまいました涙) 健康さんと同期で、その二人に接点があったということから、信用して大丈夫だし、ちゃんと見てくださったんだなと心を落ち着けて喜んだ。

面白かっただけではなく「ライブも企画しているのでもし今度よければ出演いただけますと幸いです」的な文章もいただいていた。
やまたつさんが主催しているライブはどれも吉本を中心に、プロの先輩方が出演するライブなので、うひょ〜と喜びながら、でもそんな上手い話はなくて、素晴らしい社会人経験を積んでいる方なので、社交辞令を言ってくださったのだろうと、兜の緒を締め直していた。

そのライブ出演依頼が、2/9に届いた。
マジだったじゃんってなって、疑ってすみませんと心の中で思いながら、口ではやったーと言い(言ってないと思う)、相方にすぐに連絡して、日程等大丈夫だったのですぐにOKの返信をした。

詳しい内容は3月の項に書くけれど、わたしはこの時、
「観ている人はちゃんと観てくれているから、1回1回本当にちゃんとやろう」
と、綺麗事ではなくその意味を理解し、しっかりと心の中に刻んだ。

なんの結果も残していないわたしたちだったけれど、1回のライブで目に留まって、先輩方との共演のチャンスをアマチュアの時点でもらえるなんて、思っていなかった。
でも、誰かは観てくれているし、実際観てくれていた。

それから、NSCに入って、12月に至るまで、この気持ちは忘れたことはなく、たとえ少ない人数のライブであっても、誰かは観てくれていて、興味を持ってくれていると思うと、ヘラヘラしてられない。
というか常にヘラヘラしていられないのだけれど。

NSC入ってからもライブを観てくださった数名の方から直接メッセージをもらえることがあって、応援していますと言われると、その一言がわたしを引っ張り上げて、そしてもっと楽しい時間を過ごして、メッセージを送ってくれた方々とこれから一緒に登っていきたいと思う。

そんな感じで、2/9は、わたしにとって嬉しく、そして今に至る舞台上での心得を教えてくれた日だった。




3月

3月は9本。
4月からNSCに入ると、フリーライブには出られなくなるので、アマチュアとしての総決算月。


4月から引っ越す予定だったので、内見を4軒ほどした。
不動産会社の人と話していると、最近は内見をしないで決める人も多く、特に引っ越しに慣れている人は内見をしないらしい。

でもよく考えたら、引っ越しを何度もする人は、仕事の都合である場合以外、住んだ物件が良くなくて引っ越すのだから、引っ越しに慣れている=住居選びが上手い、ではなく、むしろ下手だから引っ越すのであって、内見をしない人は引っ越す確率が高まるということでもあると悟ったわたしは、騙されないぞ〜とじっくり内見をした。
地域に根付いた愛想の良い不動産屋さんと何度も内見をして、ぎりぎり3月下旬に住居を決めた。
どうでもいい会話も不動産屋さんとしたので、マジで金にならない話しないでくれよと思われていたかもしれないけれど、ちゃんと契約したから許してほしい。


3月といったらWBC。
基本的に3月は在宅が多かったので、ほとんど観ることができた。

準々決勝の日だけ、韓国出張があった。


NSCに入学するから3月末で辞める社員だったけれど、最後に海外出張が組み込まれていた。
初めての韓国。1泊2日。
だいぶ偉い上司と2人で行くので、現場作業はほぼわたしがやる。
直前もいろんな仕事でバタバタしていたので、前年夏のアメリカ研修以来の海外楽しみ〜という気持ちはなく、やり直しが効かないからちゃんとやらねばと前日のぎりぎりまで準備をしていた。

いざ韓国のクライアント先に行くと、結構のんびりとしてウェルカムな雰囲気で、韓国の印象まで上がった。

夜は接待してもらったけれど、韓国に行ったのにめちゃくちゃ和食の店だった。
それも韓国人が経営するタイプの和食店なので、和食メニューのものが出てくるけれど、微妙に味付けが韓国風という、こそばゆい感がした。
シャリの空気を全部抜いて、ぎゅっとしてある握り寿司とか。
なら刺身でいいのに。

最終日の2日目は、めちゃくちゃ余裕を持って終わって、3時間ほど、空港に隣接したロッテのショッピングモールで買い物をした。
最後の出張だったけれど、こんなにのんびりと楽しくて、ラッキーだった。
良い会社です。

帰りの日がWBCの準々決勝イタリア戦と被っていて、搭乗するまでアマプラで観ることができたものの、3イニング目で飛行機に乗ることになった。
家に帰るまで情報を遮断して、耳はイヤホンで塞いで、帰りの電車でもモニターにニュースが流れる可能性があるから下を向いて歩こうと計画して飛行機に乗ると、WBCが生中継されている飛行機だった。

ありがたいけどなんだよその飛行機、と思った。
放映権とかあるだろうに、なんでここで観られるんだよ、どういう仕組みだよ、けど本当にありがとう、と思った。
見渡す限り、周囲の全モニターで映画や音楽ではなくWBCが映し出されていて、みんなが同じタイミングで、お〜とかうっすら声を漏らしているのが、図書館でのパブリックビューイングだった。

途中途中、機内アナウンスで途切れることはあったけれど、最後まで観戦できて、最高の韓国〜羽田間のフライトだった。
これを上回るフライトはもうないと思う。

準決勝も決勝も、どこに出かけることもなく、家で仕事をしながら見られたのが本当に幸せだった。


3月は別れの季節で、青森から一緒のタイミングで上京してきた友達が、大学院を修了して、青森で就職するので、お別れ会を実施した。
餞別の品を渡し、会計もこっちで済ませたところ、その友人が「プレゼントだけで嬉しいから、会計は割り勘で大丈夫」と言い、5000円札をこっちに差し出してきた。

マジで黙って奢られろよと思った。

主役が、お金払うよというのでさえ言う必要がないシチュエーションで、むしろさっさと「ありがとう」って言葉を放ってくれたら、それをトリガーにこっちが「その分頑張って、今度は青森行ったら奢ってくれよな」を発動するのに。

5000円札を財布から出して、意固地になって渡そうとするのはなんなんだ。
黙って、この状況を今日くらい甘受してくれよ。
そもそも下品だ。財布からお札を出さなくてもいいだろ。

もうこっちだって絶対受け取るわけにはいかなかったので、フリーキックのディフェンスくらい手を後ろに組んで、拒んで、相手が財布に5000円札をしまって収拾がついた。

あれから、プレゼントを使っているとかそういう報告はない。
ないけれど、とにかく元気にしていてほしい。


3/19、2月にお誘いを受けたライブ『解放』が高円寺ジュンジョーであった。
オープンして間もない場所。
出演者は順不同に、
太陽の小町 さん
ぶったま さん
テキセツの街 さん
始刻天 さん
カーステレオミュージック さん
そして、わたしたちだった。

今見てもいかついメンツ。

その中に入れてもらえたことが光栄であり身が引き締まる思いだった。
これ以上ない成長イベント。

タイトルが"解放"ということで、2本のネタ時間に制限がなく、どっちも6分ほどやれた。
初めて先輩としっかり絡んで、何が起こったのかよくわからなかったけれど、1本目のネタでもらった笑い声は特に忘れられない。
これが気持ちいいから、みんな辞めないんだよなと思う。

あんまり他の方のネタを観る余裕が自分になかったのが心残りだけれど、2本とも始刻天さん(解散してしまいました涙)の直後だったので、本当に伸び伸びやっているように見えて、それにお客さんが付いてきてるのすごいなと感動していた。
どういうことなんだろうっていう好奇心。

あと控室で和秀さんがめちゃくちゃ話しかけてくださって、いい人すぎる〜とキュンだった。

わたしは、あの日以上に唇が乾燥するほど緊張したことはなくて、1本目はネタ中もすぐに唇がカラカラになって舐めてしまっていた。
舐めないようにしようと思っていたけれど、舐めなければこのままカピカピになって唇がポロッと落ちて、お客さんになんか落ちたなあと思わせてしまう。
ああ唇舐めてると緊張が伝わっちゃって良くないなあと、ちょっと俯瞰な自分も居ながら、でもどうにもならずに唇を舐めていた。
2本とも飛ばさなかったのは、相方共に良かった。

超成長イベントだったし、しっかりやり切れたことが自信になった。

この積み重ねのスピードと積み重ねの幅を広げることだ。

ライブで唯一気になったことは、始刻天さんのネタ中、袖待機していると、袖の若いスタッフさんが「始刻天のこのネタ(朝食のネタ)、勝負ネタなんですよ〜面白いですよね!」と、テンション高めで話しかけてきたことだ。

そうですね〜とは言ったものの、これからわたしも舞台に出るんですけどどういう趣旨ですか、と思わざるを得なかった。

まるで、袖に観覧に来たお客さんか友達のように、話しかけられて、「そうなんですね〜よく観に行くんですか?」って返答するとでも思ったのだろうか。
これから同じ舞台に上がるのに、あなた方は完全には同じ舞台に上がれないですよと言われているようなもので、なんでそんなウキウキ気分で同意を求めてきたのかが今もわからない。

めっちゃ舐められているのか、その人がとにかく始刻天さんの大ファンで、ライブ帰りみたいなテンションになったのか、今はもう確かめようがないけれど、あれだけは納得がいっていない。
おそらく大ファンで、誰かに共有したかった思いを演者にぶつけてしまったのだろうけれど。

とにかく最高に良い経験をさせてもらえた。
わたしたちの実績はこれまで、始めて数ヶ月で出させてもらえた松竹主催の、ARAKEZURI東京編の決勝だけだったので、アマチュア最後にこんなことが起こって恐縮だった。
あまりに陳腐な言葉でまとめると、出会いに感謝。




4月

3月末でEYとの正社員契約が終了し、契約職員として時給でスポットごとに働くことになった。

とはいえ、NSCの入学式は4/21だったので、4月は特にすることがなく、引越し以外は仕事も繁忙期だったこともあり、シフトをたくさん入れて働きまくっていた。
時給制の方が少し割が良いこともあって、結果的に正社員より少ない時間数で多く稼ぐことができた。
この4〜6月の契約職員としての稼ぎのおかげで今年暮らせている。


引越しをして最初の数日は冷蔵庫も洗濯機もない、ミニマリストのような生活を送り、でも結局コインランドリーも街に多くあるし、コンビニやスーパーが冷蔵庫代わりになるから、なんとか成り立つんだろうなとも感じた。
生活のパラダイムシフトが必要だけど。


NSCに入ったので、今月からはフリーライブは0本。
卒業までは現役生ライブなど、用意してもらったライブにしか出られない。
卒業後はどんな感じになるかまだわからない。


NSCの入学式が昼あたりにあり、夕方に入学生ガイダンスがあった。
ガイダンスの時、あの女性社員なんでそんなに不機嫌なの?ってくらい、イライラ感を全面に出して威圧された。

吉本だなあ、と思った。

そして、あの社員もあえて厳しく接するよう上から言われていて、だから嫌々やっているんだろうなと最初は思っていたけれど、徐々に、この人は嫌々やっていたはずが自分本体にも侵食してきて、少し嫌な人になってきたんじゃないか、とも思うようになってきた。
きっと厳しくするようにされていたとしても、素で嫌な人な可能性もあるなと、その社員さんへの評価をぐらつかせながらガイダンスを受けていた。

結局、12月末の今ではその社員さんとだいぶ仲が良くしていただいているから、素で嫌な人ではなかった。
そんであと、嫌とか言える立場ではない。

4月の自分は正直だから悪くないけれど、総じて失敬ではある。


授業が始まったのは、ゴールデンウィーク明けの5月からだから、4月は入学式とガイダンスしか活動をしていない。
あとは働いていただけだった。




5月

5月のゴールデンウィークは相方のYOU Ⅱを含めた4人で、西武園ゆうえんちに行った。
USJを再生させたプロデューサーが関わって、西武園ゆうえんちを、昭和レトロをテーマにもう一度盛り上げようというのを何度もテレビで見かけていたし、なんかちょうど良い番組「華大千鳥」でもロケに行っていたので、興味があった。

実際行ってみると、すぐ昭和レトロが終わって、令和ナウがほとんどだった。

ディズニーでいうところの、ランドのワールドバザール部分だけが昭和レトロで、あとはほとんどただの遊園地だった。
(あまりにちなみに情報ですが、東京ディズニーランドのワールドバザールは世界中で唯一アーケードが設置されていて、アメリカディズニー本社は屋根をつけることに反対していたのですが、日本の雨の多く湿度の高い気候を配慮した日本サイドの要望によって、アーケードが設置されたという経緯があります。どうです?)

ただの遊園地部分が多かったけれど、みんな大人だから、全部昭和レトロのように楽しんだし、子供向けの雰囲気であっても大人向けでもあるかのように楽しんだ。


そういえば、相方の名前をYOU Ⅱにするというのもこの辺りに議論して決まった。
相方は違う個人名を希望していて、それが結構普通で、でもわたしからしたらその顔の地味さというか普通さを考えたら、もっとフックのある名前にした方が良いと思っていた。
何個かあった中、ノリで出したYOU Ⅱが、わたしは絶妙にダサくてこれだと思った。
1日待ってくれと言って持ち帰った相方が翌日に、YOU Ⅱいいかもと言ってきてくれて決まった。
6月まではわたしが由来を説明していましたが、そろそろ本人が説明できるようになっていると思いますので、聞いてみてください。

そして、今12月末だけれど、YOU Ⅱでよかったなと思う。

ある遊泳団の社交性担当はYOU Ⅱなので、名前がその窓口を示してくれているのがありがたいしちゃんと機能している。

それこそ5月頃は二人ともなかなか同じクラスの人とも喋れずにいたけれど、どちらかというとというか、基本的に小学生の時からみんなと仲良くしていたのはYOU Ⅱだったから、どうにかコンビ間の役割としてみんなと接点を持つきっかけになってくれるようお願いして、話してくれるようになれた。
わたしにはそういう能力が欠けているので、本当に感謝している。

こっちからしたら話したかったけれど話す勇気がなかっただけなのに、相手からしたら話したくない怖い人って思われていたこういう経験、大人になってもまだあった。
せめてもっとニコニコしていればよかったのかもしれない。
でもニコニコしているのに喋らない奴の方が怖いか。


5月から授業も始まってきたけれど、とにかくわたしは自己紹介とかパーソナリティを全面に出すのが苦手なので、本当に悩ましい5月だった。

できれば自己紹介の授業とかもうやめてほしい。
ネタをやった後に自己紹介のやりとりをする、とかならまだいいんだけど、普通に自己紹介はわたしごめんなさいです。
自己紹介無理です。
ほんと、ごめんなさい。
自己紹介ってさ、なんなの?




6月

1日に現役生ライブの出演会を決めるオーディションがあった。

YOU Ⅱがネタ中に噛んでしまってその後のテンポ感がごちゃついてしまって、でも本人はケロッとしていてちゃんとできたって感じで、わたしはセリフ運びを間違えたことよりもケロッとしていることがあまりにも不服で、今後もこういう大事な時に間違える人生になってしまうんじゃないかと思って、その日はもう冷たくあしらおうと決めた。

ネタへの捉え方がそもそも違っていたというか、このツッコミのフリセリフがニュアンス違って聞こえたら、もう直後のひとくだりふたくだり死んじゃうからなんとなくじゃダメだよっていうのをあまり意識していないからこういうことが起こるんだよって言っても、その時はあんまりピンときていないようだった。

それはもう初めてくらいのむかつきだった。
今も少し思い出すとむかか〜とするけれど、あの時はむかか〜なんてかわいくいられなかった。

わたしがちゃんとニュアンスとか細かく伝えていなかったのが悪かったというのは今になって反省しているし、ちゃんと伝えるように意識している。

けど、その、なんかわかんない?って感じ。
こんなに長くいて、間が乱れてるとかわかんない?噛んだあとはちゃんと喋れたと言うけどそれは喋れただけで、土台となるリズムがぐちゃぐちゃなのに、その土台に乗る構築物が美しくなるわけなくない?って。

正直に言って、この2023年12月時点で解散がよぎったのは、後にも先にもこの一瞬。ほんの一瞬だけど。
周りが解散ラッシュだったのもあって、三人くらいにこういうことがあったんだけど〜って相談した記憶がある。

でも結局のところ、わたしが本当はもっとちゃんと説明しないといけなかったし、そしてわたしのそういうズボラなところも何も言わずに汲み取ろうとしてくれているんだから、そんなこと考えてられないなと思ったし思っている。
ネタ合わせに毎回欠かさず遅刻しても許してくれることに感謝しなければならない。
わたしは、怒られるほどではないくらいの遅刻をよくする。
怒られるほどではないと自称するから遅刻するんだ。

その後しっかり話し合って、わたしの中でもっとこうすべきだったというのを整理して、今後の糧にするとした。

わたしたちは、ネタ見せと出演ライブの自分らの感想・もらった講評内容を全部1つのファイルに記録している。
その日の記録を見てみると、大体上に書いたような感じのことがお互いに書いてあって、ああこの躓きに当時は特に危機感を持っていたなっていうのがよくわかる。
12月末現在の今、もうそんなこと起こっていない。これからはわからない。

そんなだいぶ盛り下がりからの6月のスタート。
少しずつネタ見せが始まった。
経験者の人はなんかもう慣れた感じがしていてすごいなっていうのを感じていたけれど、12月になった今ではそんなパフォーマンス的な差もなくなってきている感じがして、ちゃんとやっていればわたしも含めて成長できるんだなと身をもって学んだ。


6月下旬に体調を崩してしまった。
きっとコロナのようだけれど、診察されていないからコロナとはいえない。

喉が痛くなって高熱になったから、中学高校と同じだった5人組でのご飯会を当日欠席することになった。
青森からの仲間で1年に1回くらいしか会わないからだから、1度の欠席は単なる欠席じゃないほど重くて、ただそれ以上に体調が悪かった。
新生活に身体が順応できなかったのかもしれないけれど、わたしはそういうのないタイプだと自負していたので、そのショックもあった。


仕事としては、6月末に契約職員としての雇用期間が終了して、貸与PCを返却してきた。
新卒時から2年4ヶ月ほど使ってきたPC。

使い始めて1週間で、キーボードにiPadを叩きつけてしまい、Q部分が吹き飛んでしまった。
新卒でキーボードのQがどこかに行ってしまった焦りは、3年目でQを吹き飛ばすのとは全く違う。

あいにく、Qはほとんど使わない仕事だったので、困ることはなかった。
Qが取れていることで最後に弁償が必要になったら嫌だなと思っていたけれど、そこは特にチェックされず、疑問は持たれたかもしれないけれど、報酬から何も天引きされずに返却が終了した。

そうして新卒から勤めてきた会社と完全にお別れした6月だった。
とてもいい会社だったけれど、もう戻ってこない方がわたしの人生にとっては幸せだ。




7月

7月に書くことではないけれど、5月下旬から日記を毎日続けている。
今この振り返りの月記書いていても、被らない内容に気をつけるのが大変なので、これからの月は短くなるかもしれない(そんなに短くなりませんでした)。

日記を書いていると、多少なりとも反響をもらえるのが嬉しい。
始めてから今日まで、日記からわたしのことを知りましたという人もいた。

自分も含めた誰かのためにただ書いている日記なので、自分の蓄積や経験になっているのは当然だけど、誰かに届いて、誰かが何かを思ってくれているということに、書いている意味を感じている。

いつかわたしのことを知った人が、昔まで遡って読めるようにという思いもあるし、すでに知っている人は一緒にわたしの成長や心境の変化を見守ってほしいし、少し離れていってしまった人はそれでもこの人は日記を続けているから存在しているんだと思ってほしい。

日記が書けなくなるくらい忙しくなったらみんなで祝おう。


7月中旬に、辞めた会社の最後のお別れ会が2回あった。
みんな稼いでいるので、たくさん食べさせてもらえるのはありがたかった。

これからも何回かご飯に連れていってほしいなと思っているけれど、ちょっと横柄でわがままな感じがして頼みにくい。
会社の人は時間がなくてお金はあって、わたしは時間はあってお金がないから、凸凹でちょうどいいと勝手に思っているし、知らない人だからこそ会社の愚痴を言ってほしいとも思っているけれど、知らない人に愚痴を言ったところでどうにもならないのかもしれない。

結果的に7月以降は会社の人とは会っていない。連絡はたまに取っているけれど。


FNS27時間テレビがあった。
わたしのとってテレビといったらフジテレビで、小さい頃に行ったお台場合衆国が夢のようですごく楽しかったのを今でも覚えている。
東京といったらお台場な田舎の人間なので、今でも何かあればお台場に行きたいなと思うけれど、交通の便が良くないのが玉に瑕。
レインボーブリッジを歩いて芝浦側から台場まで渡ったのもとても楽しかった。


2017年3月に東京に来てからもう6年以上経っているけれど相変わらず東京の暑さには慣れずに、ただ涼しい商業施設に入る術だけ身についている。
今は12月だけれど、すごく寒くて、またあんな夏が来るとは信じられない。信じていない。




8月

8月は、帰省の前日のNONSTYLE 石田講師によるネタ見せの授業があった。
それまでちょっと落ち込む日が続いていたけれど、その日、ボケ方や切り口を石田さんに褒められてとても嬉しかった。とっても。
だって石田さんだもん。
YOU Ⅱについては「YOU Ⅱってなんやねん」って言われたのも、よっしゃだった。
だってYOU Ⅱってなんやねんだもん。

所詮ネタ見せというのもわかるし、ネタの内容についてもちろんいろんなダメ出しをいただいたけれど、自分のやり方が全く間違っていたわけではないのがわかって自信になって、また頑張っていこうとなった。

こういうのがないとやっていけない。というか、こういうのがあるからやっていけるのかもしれない。


M-1の1回戦が上旬にあった。
もっと準備しないといけなかった、と今でも思うくらい急にM-1の日が来た。
リマインドなくその日が来たみたいな感じで、来年は数ヶ月前からちゃんとデザインして考えて挑まないといけない。
悔しいというよりも、あっという間に始まってあっという間に終わってしまった感じで、準備不足の情けなさだった。

そういえば7月にはKOCの1回戦があったけれど、NSCでいまだにコントでのネタ見せをしたことがないので、突貫という感じで、これもまたKOCのためだけでも準備しておかないといけなかったなって当然すぎる反省をしている。
これは反省なのかというくらい、当然すぎる反省。
反省じゃないんじゃないか?
反省する段階にも至ってなかったかもしれない。
コントは正直作り方がわからないけれど、KOCのためだけなら頑張れるような気がする。




9月

9月は合宿。
他のクラスや大阪の人と話すこともできたけれど、結局C組のみんなと仲良くなって終わった。

それでいいと思うようにしている。
だってそんなみんなと仲良くなろうと思っていなかったから。
よくある、自分で思ってもなかったのにそうありたかったみたいな反省はわたしはもうしない。
知らない人と仲良くなりたかったらもっと活発に話しかけていたけれど、それよりもC組の男子と仲良くなることが欲しかったし、だったらもういいじゃないという感じで。
合宿は結局行ってよかったけれど、行ってよかったというだけだった。


9月半ばには、みんなで授業終わりに、サッカーと野球を、どっちも百均のテニスボールでやった。
半端じゃないくらい汗もかいたけれど楽しくて、またなんかスポーツやろうと言っているうちに冬が来ていた。
しかし、あんなに小さいテニスボールでのサッカーなのにやたら削りに来ていた同期は許さない。


9月のC組ライブ終わり飲み会は、新宿の居酒屋で行った後に10人くらいでカラオケまねきねこに行った。
みんなで歌う、GReeeeNのキセキはたまらない感動で充満していた。

わたしは大学1年の頃以来カラオケに行ったことがなかったけれど、世の中にはこんなに楽しいカラオケが存在していたんだなと思い、その間、わたしの入ることのない数多のカラオケボックス内ではいろんな幸せが生まれていたであろうことに嬉しくなった。


その月の現役生ライブ終わり、初めて匿名メッセージツールのマシュマロでコメントをいただけて、それを山手線に乗っている時に気づいてぴょーんと心が跳ね上がった。
3月の頃にも書いたように、ちゃんと観てくれている人がいて、わたしの存在性が爆発した。


9月から渋谷で行われる先輩のライブを観に行くことにして、JET-GIGに行った。

NSCのネタ見せで、下着専用に持ち運びができる袋をプレゼントするというネタをやった後、それを観ていたNSCの社員さんから、これからターゲットとする客層とかちゃんと勉強してそこに合わせたらちゃんとコンビとして良くなるよと言われたから、ちゃんと従順な人間としてライブを勉強しに行った。

あれからもうシモっぽいネタはやらないようにしている。自分達の雰囲気的に。

あと本当に女性が多いなと思う、1:10くらいの男女比がライブの客層。
媚びるとかそういう話ではないけれど、ちゃんと見極めないと時間がかかってしまうなと勉強になった。

11月はいかなかったけど、それ以外は行っているし、1月はいろんな人に連れていってほしいと言われている。
わたしはただチケットを買っていくだけなのに、連れていくという変な役目を担わされている。連れていくってなんだよ。
もちろん楽しみだけれど。




10月

ホットコーンポタージュチルという、TwitterバトンがNSCの友達の霧島秀から始まって、一発目がわたしに回ってきた。
説明はできないからわたしのTwitterを見てくれればいいんだけど、気付いたらホットコーンポタージュチルは終わっていた。

誰かがしれっとバトンを切らしていた。

そして、それの元となった、急にC組で始まったアイスバケツチャレンジも冬が来たからか終わっていた。
誰が始めたかはどっちもはっきりしているけれど、誰がバトンを止めているかは調べるつもりもないしわからない。
いわゆる29期のC組のよくないところが出たと言われているやつだ。
当人たちは楽しく笑っている。


上旬の日曜にネット配信番組のめちゃユルがあった。
めちゃイケのスピンオフネット番組。

わたしのとってめちゃユルは青春。

もっと上の世代にとってはめちゃイケが青春なんだろうけど、わたしが大学受験の時にめちゃイケだけはリアルタイムでテレビの前で観ていたくらい、小さい時から大好きな番組だったとはいえ、その頃は番組としての全盛期は過ぎていたから青春とはいえない。

でもめちゃユルは、ちょうどわたしがめちゃイケが大好きな頃に始まってたし、何よりも濃度が高くて、年に数回朝から夜まで平気で10時間くらい配信するけれど、ずっとパソコンを持ち運びながら観ていた。
家族でご飯を食べるときも、めちゃユルが配信されている日だけはパソコンを横に置いてイヤホンを付けていた。

めちゃイケ制作陣のトップ、総監督である片岡飛鳥さんのことを心から尊敬して心酔していて、将来は飛鳥さんのようになるために、わたしは早稲田受験を中学2年の時にもう決めたくらいだったから、飛鳥さんが全面的に関わるめちゃユルは特に欠かせない番組だった。

もう数年やっていなかったけれど、めちゃイケのFOD配信開始に合わせて、そのめちゃユルが復活した。
どうしても外せない用事があったから全部は観れなかったけれど、本当にどうしても外せない時間以外は移動中もめちゃユルを観た。
わたしの好きな時間が溢れていた。わたしも笑っていた。

めちゃユルのとにかく好きな回は、めちゃユル24時間テレビのジャグジーの回と加藤さんとジャガー横田さんの回。
面白さの原点というのは他にもあるかもしれないけれど、いわゆるお笑い的な面白さの原点は確実にめちゃユルにある。




11月

この月あたりから、12/16-17にある国家試験のための勉強でNSCの対面授業を欠席することが増えた。オンラインでは出ていたけれど。
でもここでなんとか合格すればもうお笑いに特に集中できるから、一踏ん張りの1ヶ月半で我慢だった。

相方が幼馴染でよかった。
知らない相方に、急に1ヶ月半自分の勉強のためにネタ見せ休ませてほしいとか言われたら激醒めするだろうから。

わかりあってる人でよかった。
めっちゃ感謝しているけれど、相方も体調を崩す期間だったので、結果オーライ的なところもあった。

ゆえに11月はほとんど出かけることがなく、毎日の日記もつまらなくなっていた。
なんとか数少ない外出の機会を使って話題を探してはいたけれど。

今になっては、そういうことだったということで、読んでくれていた人は許してください。
日記に書いた以上のことは、起きていません。




12月

上述したように12月は17日まで何も起こしていない。
スマホの写真フォルダに残っているのは、自転車を停めた駐輪場の番号の写真。


17日に全部終えて、18日は選抜のネタ見せがあった。

4人の審査員による、3組の三つ巴ネタバトルで、仲良しの片翼のチキンに3-1で負けたけれど、数週間ぶりにネタができて嬉しかった。
時間制限がないと、まだ二人でワクワクしながらできるなって感じで、ちょっと間を変えながらやるのが、ネタが生きてるなあってわたしは嬉しい。


たまにライブ終わりで、楽しくできました!って呟いている人を見ると、本当なのかなって思うくらいわたしは別に楽しくできたことはない。
ちゃんとできました!とか、ウケてよかったです!とかはあるけど、楽しいってなんなんだろう。

特に何も考えずに、楽しくできました!と呟いているような気がするし、わたしも昔はなんとなく楽しかったと呟いていたけれど、正直楽しいことはないから、もうやめた。
楽しくないわけではないんだけど、ウケていてもスベッていても”次にどうしようか考えないといけない”ということを楽しいとは思えない。
それを楽しいと思えた方がいいんだろうけど。

それと、楽しくやることがお客さんに失礼でもあるんじゃないか、という気持ちも少しだけある。
全くそんなこともない人もいるんだろうけど、わたしのマインド的には今の自分達が楽しくやることがあまりお客さんの笑いに繋がらないような気がしている。


ちょっと話がずれてしまった。いつものことだ。

ネタ見せで負けたけど、1票貰えて嬉しかったけれど。
ここで喜んでいるから今の立ち位置だというのもじわじわと効いてきて、少しでも「まあまあまあまあ」みたいなこと思ってるんじゃねえよとなった。
ちゃんと勝ち切らないといけないし、そのために常日頃から備えていないとダメだ。
簡単そうに見えて簡単じゃないことにこそ、金脈がある。


年内最後、帰省直前に必要な手続きのためにちょっと区役所に行く必要があって、ちょうど昼時だったので周辺でご飯をで食べようと調べて入った店が、オモウマい店で取り上げられたことのある町中華だった。

普通の店が良かった。

サービス旺盛とか、量で勝負するよりも本当に味で勝負してほしい。
量が多いから味は普通でもなんだかお得に感じたなあ、じゃない。
わたしは量とかいいから味でお願いします、だ。
味こそがサービスであってほしい。

ラーメンセットを頼んだら、1杯のラーメン(それでも1.5人前くらいあった)と0.75人前くらいのチャーハン、チキンカツ2つに千切りキャベツが付いてきて、750円。

わかりましたから。
1杯のラーメンだけで750円でいいし、もう量で誤魔化さないでほしい。
そういう店なんだというのもわかるけれど、だとしてもラーメン1杯でチャーハンは0.5人前で良い。

食べたチャーハンは、なんの具材とも絡み合っていない白いお米部分がたくさんあった。
卵はもう目玉焼きくらい独立していた。
とにかく量だった。
ちょっと量すぎた。


そんな12月だったけれど、結局実家に帰ってきて、足を伸ばせる最高の浴槽でお風呂に浸かっていれば、無問題。




今回は正直バタバタしていたのもあって実質2日間でこの月記を書いていて、できるだけ毎日書いていた日記と被らないことやあんまり読まないであろうことを利用したちょっと心の中のディープな話をしようとしたけれど、スタンスがブレブレになってしまったような気がします。
来年もこの月記を書くならば、ちゃんと考えて書こうと思うけれど、今年に関しては初めてなので許してください。
あと、これは毎度のことですけれど、長いのでここまで読んでくれる人がいるかもわかりませんが、もしここまで辿り着いてくださっていれば、それは本当に嬉しいことです。


今年もありがとうございました。
来年も、そして来年以降も、もういっちょわたしの背中を押してくれるような力になってくださると嬉しいです。
皆さんの些細な反応や言葉に、わたしは本当に励まされています。
皆さんが思っている何倍も、励みになっているのです。

そして、皆さんにその力をおっきくお返しできるようにもっと頑張ります。
今後ともよろしくお願いいたします。
光る2024年を!

ある遊泳団 団小野寺

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