【断髪小説】放課後の教室で

トランペットのロングトーンの音、野球部のジョギングの掛け声。
オレンジ色の教室に、それらの音が遠くに聞こえる。

みんなの視線は私の後頭部に集まっている。

カースト下位の、目立たない女子の一人である私が、クラスのイケメンの彼と付き合い始めたのは雨宿りがきっかけだった。

雨に濡れた私の髪を、彼が綺麗だと褒めてくれたのだった。髪の手入れが唯一の趣味だった私は、何気ない彼の褒め言葉が嬉しくて、一気に彼に惹かれていった。

彼と付き合うまで長くはかからなかった。そして、付き合うと日々、彼の新しい面を見ることができて嬉しかった。
優しい一面、頭のいい一面、実は少しおっちょこちょいな一面。全てが新鮮だった。

ただ、彼にはドSな一面もあった。でも、私だけにそんな一面を見せてくれたことが嬉しかったし、彼の欲求に応えていく悦びもあった。

それは、登校中の出来事だった。

「静香の髪、綺麗だよね。つやつやで、天使の輪っかもある」
「ありがとう。すごく嬉しい。いつも丁寧にケアしてるんだ」
「だよね。ごめん、なんか変なこと考えちゃった」
いつもの通学路、彼が少し顔を曇らせた。
「どうしたの?ひょっとしてエッチなこと?」
「いや、そうじゃない…こともないかもしれない」
「なになに?聞かせてよ」
彼は少し目を泳がせた後、観念したように言った。
「静香が大切にしてる髪の毛、クラスのみんなの前でめちゃくちゃに切ってみたいなって」
「え…」
そんな、大切にしてるのに…。
目の前が暗くなるように感じた。
「ごめん、忘れて。静香が髪を大切にしてるの知ってるのに酷いよね。ほんとにごめん。忘れて」
微妙な空気の中、教室にたどり着き、それぞれの席に着いた。

私の髪、切りたいんだ。ひどい。どうして。大切にしてるの知ってるのに。
1時間目の数学の授業、頭に浮かぶのは目の前で繰り広げられる解と係数の関係ではなく、彼と髪。
切りたいんだ。私の大切なものって知っているのに。私から奪いたいんだ。
窓から入る風に、揺れる私の髪。思わず目頭が熱くなる。

彼と付き合ってからの日々を思い浮かべる。
でも、切ったら喜んでくれるのかな。
彼の嬉しそうな顔が瞼に浮かぶ。

打算的な思いもあった。
彼と付き合っていることは、まだクラスのみんなには公開していない。もちろん、気づいている人もいるけど、知らない人もいる。
中には、彼への好意を持ち続けている女子もいる。クラスのカースト上位のあの子も、密かに彼を狙っている。
ここで、みんなの前で彼に髪を切られると、どうなるだろうか。
二人の関係が公認されないだろうか。「あんなに大切な髪を彼のために切ったのね」と、交際を後押ししてもらえないだろうか。カースト上位のあの子も諦めてくれるのではないだろうか。

彼のために髪を切る。その響きが徐々に甘美なものにさえ感じてきた。
私の大切なものを彼に捧げたい。そして、喜んでもらうことを悦びたい。クラスのみんなに認められたい。
いっそのこと、彼のものとして私をめちゃくちゃにしてほしい。

気がつくと、数学の時間はおろか、4限の古文の時間すら終わっていた。

「ねぇ」
誰もいない廊下、朝からなんとなく気まずくなっていた彼の服をつまむ。
「あ…、今朝はごめん」
「ううん、私もごめん。あれから色々考えたんだけどさ…」
彼の顔が少し青くなる。
「ほんとごめん、もう二度とあんなこと言わないから」
「ううん、違うの。私の髪、切ってほしいなって」
「え…ほんとに?」
「うん。いっそのことめちゃくちゃに切ってくれてもいいよ。丸坊主にしてもいい」
「え、でも、静香ずっと髪を大切にしてたじゃん。どうして」
狼狽える彼の目は、風で私の胸に躍る毛先を見つめていた。
「大切にしているからこそ、大切な人に捧げたいなって思ったの。喜んでくれることが私の悦びだから」
「ありがとう…本当にいいの?どんなのになっても後悔しない?」
「もう、しつこいなぁ。いいよ、覚悟決めたから。みんなの前で丸坊主にでもなんでもしちゃってよ」
「静香…」

こうして、私は放課後の教室で髪の毛とさよならすることになった。
流石にその日は道具の準備ができてなかったので、決行は翌日になったけど。

「え、あれ何してるの?」
「なんか加藤さんの髪の毛切るらしいよ」
「えー、ほんとに?ヤバっ。てか、あれバリカンじゃない?」
ゴミ袋を被せられ、てるてる坊主状態になった私に、クラスメイトの容赦のない好奇心が突き刺さる。

枝毛のないつやつやの髪を、彼が名残惜しそうに櫛でとかす。
私の髪が、上2、下8くらいの割合でハーフアップにされ、上の髪がお団子にされた。

「え、待って、やば、本当にバリカン持ってるじゃん」
「あの綺麗な髪刈っちゃうのかな」
「さすがにヤバくない?」

バリカンが音を立てて、私のうなじに近づく。

ザリザリ…。

バリカンがうなじから駆け上がる。
バサっと黒い塊が足元に落ちる。

「うわ、やばっ」
「え、まって、めちゃくちゃ青いじゃん」

クラスメイトの声に頭が熱くなる。
バリカンは何度も後ろから私の髪を刈り落としていく。
バリカンが耳の横と上にも入り、真っ赤になっているであろう耳が露わになる。耳の上10cmほどが刈り上げられている。

「すごっ。加藤さん下半分坊主じゃん」
「度胸あるよね」
「あんなに綺麗で長い髪だったのにね」

彼がハーフアップのお団子を解くと、髪が先ほど刈られた部分を覆い隠す。

「なんだ、ツーブロか」
「びっくりした。あれだったらあまり変わらないからアリかな」

そんな声をよそに、彼はハサミと櫛を手に取る。

「いや、切るっぽいよ」
「ボブにするのかな」

彼の手が私の後頭部に触れる。

「待って、かなり上じゃない?」
「え、加藤さんそんなに上で切っちゃうの?」
「刈り上げ丸見えになるじゃん」

ジャキッ
ジャキッ

彼がハサミを閉じると、またもや私の髪が流れ落ちる。

感覚的に、かなり上の方、つむじから5センチ下くらいのところにハサミが入った気がする。

「すごい、やばい、え、ヤバっ」
「加藤さんの後頭部に顔描けるんじゃない?」
「後頭部リアルワカメちゃんじゃん」

クラスメイトの視線が私の後頭部に集中する。

彼はハサミをそのまま前下がりにして横につなげていき、耳の下につなげた。そして、触覚部分は顎のラインで整えるというかなり挑戦的な髪型になった。

「ちょっと下向いて」
彼が私の後頭部を押すと、なにやら温かいものを塗り始めた。

「あれって何してるの?」
「待って、あれシェービングクリームじゃない?」
「え、じゃあ加藤さん後頭部ぜんぶ剃り上げるの?」

クラスメイトの声に、隠せない頭が熱くなるのを感じる。

ジ、ジ、ジ

彼が先程刈り上げた部分に剃刀をいれていく。

「うわ…さっきまで青かった部分は今度は少し赤くなってる」
「加藤さん恥ずかしいのかな。剃った部分が真っ赤だね」
「さっきまでつやつやのロングだったのに、今や後頭部ツルツルで丸出しだもんね」

やがて、私の後頭部はツルツルに剃り上げられた。最後に前髪がオン眉パッツンにきりそろえられた。

私は触覚部分だけ長い、後ろが丸見えの剃り上げ前下がりボブになった。
ゴミ袋を脱ぐ。制服と髪型が少しアンバランスな気がする。

「加藤さんやばいね」
「ツルツルだもんね。私なら恥ずかしくて死ぬ」
「でも、なんか加藤さん見てるとあれはあれでなんかエロいよね」
「わかる、なんか後ろのラインとか、黒いツヤツヤの髪とツルツルの肌のコントラストとか芸術的だし少しエレガント?」
「まあ私は死んでも嫌だけど」

大切な髪を、大切な彼に捧げることができた。
嬉しそうな顔をした彼の手が、私の後頭部なでる。

ツルツルになった後頭部をみんなと彼に見られている恥ずかしさで頭がボーッとしているけど、私はこの悦びを生涯忘れないと思う。

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