【断髪小説】お似合い
弁護士になりたかった。
きっかけはありきたりだった。
小学生の時に見たドラマに出てくる、長い髪を靡かせた女性弁護士は、私の心を捕らえて離さなかった。
自分もドラマの中の弁護士と同じように、長い髪を靡かせて法廷で颯爽と振る舞いたいと思った。
それから、ずっと弁護士になると言い続けてきた。
憧れは簡単な道ではなかった。
一浪して地元の国立大学の法学部に入り、ロースクールの未修クラスをなんとか4年で修了した。
でも、ロースクールをなんとか修了した程度の私には、司法試験の壁は高かった。
最初の2年は短答式試験で足切りになり、次の年はどうにか論文式試験の採点はしてもらえたものの、F評価ばかりの箸にもかからない成績だった。昨年も1500人合格する中、私は2800位で不合格だった。
失ったものは多かった。26歳でロースクールを出た私は、不合格が続く中で31歳になってしまった。
大学生のときから付き合っていた、結婚を考えていた彼氏は、昨年不合格になったときに家庭に入ることを要求されて別れてしまった。
家族はずっと応援してくれていたが、それでも最近は少し居心地が悪くなってしまった。
それでも、弁護士になる未来だけを信じてここまでがむしゃらにやってきた。
今日は9月10日。5回目の合格発表の日。
司法試験は5回しか受けることができない。今回が正真正銘のラストチャンスだった。
時計は15:58を表示している。合格発表まであと2分。
はやる気持ちをおさえて、法務省のホームページにアクセスする。
16:00
カチッ
サーバーエラー
カチッ
サーバーエラー
カチッ
何度繰り返しただろうか。16:20ほどになってようやく合格者の受験番号一覧がゆっくりとモニターに映し出されていく。
手元の受験票に目をやり、紙に書かれた東京01485の文字列を確認する。
東京の…
01480
01482
01483
01484
01486
01489
ない…。
ない…。
どこにもない…。
何度モニターを見ても、01485の文字は浮かんでこない。
終わった…。これで失権。司法試験の受験資格を喪失した。私の子供の頃からの夢は、完全に砕け散ってしまった。
全てを投げ打ってやってきたのに。20代を全て捧げてきたのに。結婚だって、ずっと付き合ってきた彼氏だって犠牲にしてきた。
何が悪かったというのだ。どうしてこうなってしまったのだ。
涙が滲む目で、モニターを見つめ続ける。やがて操作されなかったモニターが暗くなり、そこに私の顔が映る。
ハラリと目に髪がかかる。
ドラマの弁護士に憧れて伸ばし続けてきた髪。お尻に届こうかというのに毛先まで艶のある自慢の髪。いつも手入れを欠かしてこなかった…。
あ…。
「あああぁぁぁあぁぁぁあああぁ」
思わず絶叫してしまう。
こんなもののためにどれほど時間を費やしたのだ?そんなもの、受かってから伸ばせばよかっただろ。
弁護士になってしまってから好きなだけ伸ばせばよかっただろう。
こんなものに時間をかけて、挙句弁護士になれないなら何の意味があるんだ。
これじゃただ髪の長いだけの31歳無職じゃないか。
いったい何時間こんなものに費やしてしまったのだ。その時間があればいくつ判例を覚えることができたのだ。
こんなもののために人生を無駄にしたのか。
こんなもの。こんなもの。
衝動的に首元の髪を掴む。
大好きだった彼が綺麗だねと言ってくれていた髪。結婚式ではいろんなアレンジができるねと笑いあった髪。
でも、そんな彼はもう私の元にはいないし、そんな未来は私が捨ててしまった。
それなのになんだこの結果は。こんなもののために私は人生を…。
目にうつったハサミを手に取り、掴んでいた髪に入れる。
ジャ、ジャキ、ジャ…
太い髪の束はなかなか思うようには切れず、じわりじわりと削れるように切り離されていく。
私、いったい何をやっているんだろう。
涙が頬を濡らす。
何分経っただろうか。髪束が私から離れる。
モニターに映る私の右半分は憧れていた弁護士と同じ髪型だが、左半分は無惨に切られて首の真ん中までしかない。
これが私にはお似合いなのだ。未練ったらしく生やしていたところで何になる。
後ろの髪を掴み、今度は根本にハサミを入れる。
小学生の頃からの未練がしがみつくように、なかなか髪は私から離れない。
これでもかというほどに力を入れて、ようやく少しずつジャ、ジャ、と削りとられていく。
ヤケになった私は、無我夢中で髪を切り続けた。
一番長く残っていた右の髪も、耳のラインで切り落とされた。
モニターに映るザンバラな頭をした私。
これは自分への罰なんだ。この髪は自分への戒めなんだ……。
はぁ…いったい何をやっているんだろう…。本当に何も残らなくなっちゃった。
でも、私にはこれがお似合いだから。
積み上げられた参考書とメモをした紙。部屋に散らばった髪。
流石に揃えてもらいに行かなくちゃ。
でも、今の私に美容院に行く資格なんてない。弁護士に憧れていた小学生の私が、それを許さない。
少し遅くまでやっている1000円カットに駆け込む。
「自分で切っちゃったんで、揃えてください」
理容師が少し驚いた顔をして、席に座るように促す。
「お姉さん、えらく思い切ったね。ここの後ろのところとか全然髪がないから、刈り上げになるよ。それでもいい?」
「はい。自分への罰なので、お洒落な感じにはしないでください」
理容師が苦笑いをしながら準備をする。
「お姉さん、そうはいっても、僕らはお客さんを素敵にするのが仕事だから、わざと変にするってわけにはいかないのよ。たとえばお姉さんが『男の子みたいにしてください』って言っても僕は断るよ。そんなの切りたくないね」
「わかりました。じゃあ、おかっぱにしてください。今、流行っているので。それならいいでしょ?」
理容師は少し考えたが、時計をみて意を決したらしい。
手際よくブロッキングしていく。
「時間がないからこれでやっちゃうよ。下向いて」
そういうと理容師はバリカンを私のうなじに滑り込ませてきた。
バリカンが通る度に、私の髪がケープを滑り落ちていく。
「一番短いところにあわせて6mmにしてるから」
理容師は言い訳をするように呟きながら、私の後頭部を刈り続ける。
やがて、刈るところがなくなったからかバリカンのスイッチを切り、ブロッキングされていた髪を下ろす。
パサっと音を立て、左右で長さが違う髪が降りてくる。
「これも短い方に合わせて耳の真ん中で切るからね」
そういうと、右の耳のラインからハサミを入れ始め、後ろ、左の耳の方へと切り進めていく。
その度に、私の髪が降り注ぐ。
「アンバランスだから切っとくね」
そういうと理容師は私の前髪を眉毛のところでパッツンに切り揃えた。
「完成です」
そういって、鏡を私の後ろに構える。
耳の真ん中で切り揃えられた刈り上げおかっぱ。
一言でいうとそれが私の髪型だった。
今朝まであった、腰までの艶やかなロングヘアなどどこにもない。
刈り上げが丸見えの昭和の学生かというおかっぱ。
放心状態でお会計を済ませて外に出る。
街のショーウィンドウに映る刈り上げおかっぱの女。
あーあ、何にもなくなっちゃった。
法廷で靡かせたかった髪、結婚式で綺麗なアレンジをしたかった髪、私の大切だった髪。
夢とともに全部刈り取られてしまい、そんなものはもうどこにも残っていない。
触れてみるとチクチクと刺さる刈り上げが、夢から覚めた私の現実なのだ。
弁護士になる夢、学生時代からの彼との結婚という夢、結婚式で自慢の髪を綺麗にアレンジしてもらうという夢。
もう、全部どうでもいい。
きっとこれがお似合いなのだろう。
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