見出し画像

オマエ誰やねん? 3         『写真の中にある私の物語』のできるまで

 カメラマンとしての仕事の傍ら、自分の写真をパソコンで取り込んで画像処理したり、色々な素材、例えば紙や木や布などに、モノクロ印画紙の乳剤(液状)を塗布してプリントしたり、さらにそれに絵を描いたりカッターで切り絵風にしたりと、作品づくりに没頭していた。
 

 当時使用していたパソコンはNEC9801シリーズで、ソフトは彩子や零子というソフトだった。ご存じの方もいると思うが、今のフォトショップとは全く違うと思った方がいいと思う。
 その頃の作品は広告に使われたり、雑誌の表紙に使われたりした。また、コンピュータグラフィックスの専門雑誌に、創作に関する記事を書いたりもした。もしかするとこれでメシが食えるかも知れないと、大それたことを思ったりもした。そのままその気になって進んでいたらどうなっていたのか、ちょっと興味はあるが、今更どうしようもない。

 そんな頃に、自分が作品を創るよりは、作家を見つけることの方に興味が移り始めた。どうしてそうなったのかはよくわからない。自分のことながら、分からないことだらけだ。
 特に何かがあったわけでもなく、自然に気がつけばそうなっていた。自分の創作の喜びより、素敵な作品を創り出してもらう方が、何倍も嬉しいということに気がついたのだ。

 その後、作品を発表する場所としてカフェギャラリーを作った。これがそもそもの間違いの始まりかも知れない。
 最初は普通のギャラリーだったが、途中からは絵を見ながらお茶したいという自分の欲求から、カフェに方針を変更した。 ライブなどのアートイベントも積極的に開催して、人だかりで近隣から苦情が出たり、警察官が来たこともあったほどの集客をしていた。他からの仕事の依頼も来るようになって、忙しい日々の繰り返しだった。
 

 こうなると人(私)は勘違いをしてしまうので、自分のやっていることが、唯一無二の素晴らしいことだと思いこんでしまうのだ。私が集客しているわけではない。作家が、作品が集客しているのだ。この頃から、引っかかりがおかしくなってきた。

今日の教訓
自分の器、推して知るべし。

まだつづくねん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?