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オマエ誰やねん? 1          『写真の中にある私の物語』のできるまで

「ほんで、オマエ誰やねん?」
 と、思う方のために、自己紹介を少し。

 遠い昔、私は現代美術のカフェギャラリーをやっていた。今では当然のようなアートを飾るカフェも、まだ大阪ではそれほど多くはなかった。そこでは毎週若い作家の展覧会を開催していた。ギャラリー以外の場所でのアートイベントもやっていたし、商業施設でのアートを使った集客イベントなども手がけていた。

 私は、自分の存在意義は『引っかかり』を感じることだと思っている。引っかかりというのは、その人の作家としての才能の『芽』を感じること。何か気になるとか、心がざわつく(反対の意味?)とか、キュンとする(違う?)とか、そういうことだと思う。

 元々あまり人と接するのが得意じゃなくて(本当)でも仕事柄(元職はカメラマン)いろんな人と出会って、人の写真を撮るのが好きになって、その写真が評価されて気づいたことは、「俺って人が好きやん」だった。
 ファインダーを通して人を見る目が養われたのかどうかは分からないが、私の感性の中で何か引っかかるものがある人は、素敵な素質を持っている人だと思う。もちろん相性や、好き嫌いもあるので100%ではないことは当然だ。


 その引っかかりを頼りに、アートの仕事を始めた。でもある時、その『引っかかり』がすり減っていることに気付いて、とてもショックを受けた。人と出会っても何も感じないのだ。引っかかりを感じないというのではなくて、引っかかりがあるのかないのかが分からない状態だった。どうしてそうなったのかは、今でもわからない。所詮私の能力とはその程度のものだったのだろう。

 スタッフや周りの人の判断を頼るようになって、気がつけば誰がどうなのか全く見えなくなっていた。仕事は経験とチームプレーでなんとかなって、その評価もある程度は認められて、でも自分では我慢できる範囲の仕事ではなくなっていた。
 そういう状態がしばらく続いたとき、あるイベントでその限界を通り越したと感じて、あっさりとアートの世界から離れた。要するに逃げ出したということ。スタッフも関係者の方たちにも大変迷惑をかけてしまった。後悔も反省もしたが、当時は私の人生はこれで終わりだと感じていた。



 その後数年間、ただただ惰性で生きていた。もう決して大好きだったアートの世界へは戻れないと思いながら・・・でも、立ち直るきっかけは、結局は『人』だった。

今日の教訓
自分の能力なんて所詮人並みと思って謙虚に生きよう。


きっとつづく


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