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038 般若心経3

舎利子、色不異空・空不異色・色即是空・空即是色、
受想行識、亦復如是。

 舎利子に呼び掛けて、語っている。観自在菩薩が語っているようにも思えるが、そうではないという解釈もあり得る。あるいは、般若心経を含む般若経を確立した紀元前後の高僧かもしれない。そう考える方が自然である。いずれにしても般若心経の心髄が唱えられているが、簡単には理解できない。色と空、特に空は難解である。
 色はこの世の中のすべてであるが、自分自身は除く。つまり自分以外のすべてのこと。では自分はどこにいったか。それが受想行識である。構成要素を自分と自分以外に分けたところが素晴らしい。しかも自分自身をちゃんと定義している。
 一般的には、神と自分とそれ以外の3つに分けて、神の存在を絶対化する。その上で、3者を位置付けるのが多くの宗教。ところが、般若心経では何か絶対的なものを考えている節がない。この世の中は空である、と言っている。対する自分自身も空であると言っている。
 空を簡単に「カラ」としよう。五感で感じられる世の中が実は「カラ」であって、中身は何もない・・・ということは考えられなくもない。世の中は、五感が作り出したもので実体はないのである。そんなことを言っている哲学者もいたと思う。そうであったとしても、そのことを考えている自分自身も実は空つまり「カラ」であるというのは極めて考えにくい。
 しかし、そうだと言い切っているのが般若心経である。そもそも宗教なのだから、そのように信じなさい、ということであれば簡単である。しかし、どうもそうではないようだ。自分自身を含めたこの世について、どのように認識するのか、更に説いていく。

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