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#15 公共施設マネジメントにおいても苦悩する団塊ジュニア世代(の第4話)

さて、団塊ジュニア世代として生まれ、世代に共通するような僕自身の生い立ちと、公共施設(や建築)を関連づけて書いてきた「公共施設マネジメントにおいても苦悩する団塊ジュニア世代」シリーズ。
今回はその第4話目となるが、ついにシリーズ完結編ということで、現在・そして未来に続く公共施設マネジメントにおける課題や展望に触れていきたい。


人口ピラミッドを見てみる

日本の人口は2008年のピークから減少に転じているが、年代ごとの人口推移を捉えていくと、実に様々なことが見えてくる。

いわゆる団塊世代と呼ばれる1947年〜1949年生まれの層が圧倒的に突出していることが、下のグラフからも見てとれる。
彼らは現在74〜76歳で、現時点においても我が国の人口最大マジョリティを占めている。

国立社会保障・人口問題研究所のデータを基にした人口ピラミッドの推移(1970〜2050年)

団塊世代(1947〜1949年)の年間出生数:約270万人
団塊ジュニア世代(1971〜1974年)の年間出生数:約200万人
直近(2022年)の年間出生数:約77万人

1年間に生まれる子どもの数がこれだけ違えば、人口がこの先、激減するのも頷ける数字だ。

団塊ジュニア世代が経験してきた不幸な日本

僕自身が幼少期から就職した頃まで経験してきたことについては、第1〜3話で触れてきたが、僕たち団塊ジュニア世代にとっては共通の感覚ではないだろうか。
学校が荒れた時代を過ごし、受験戦争で心身ともに疲弊し、就職氷河期でそれまでの努力も報われず、就職しても経済成長が止まったままの失われた30年。

もちろん個人差はあるだろうが、社会人になって以降も可処分所得は一向に上がらず、裕福に過ごしていると実感している割合はかなり少ないように思う。

ちなみにバブル期絶頂の1989年にCM放送されてた牧瀬里穂のクリスマスエクスプレスのようなシーンは、当時高校生だった僕らは社会人として経験していないw
YouTubeと合わせて、下の記事も熟読してほしい。この時代の考察と超細かい背景分析が凄すぎて、読まずにはいられなくなるはずなのと、YouTubeも10回以上は見たくなるはずw

団塊世代が見てきた日本の快進撃

一方で、僕たちの親世代である団塊の世代が通ってきた道のりは、僕たち世代とは真逆のような世界だ。

この層は、生まれた時こそ戦後の焼け野原状態で、貧しい生活を強いられたに違いないが、小学校の中盤くらいには「もはや戦後ではない(1956年)」時代となっている。
(朝鮮戦争を契機とする特需は1950年に始まっているので、一部の人たちはもう少し早い段階で、貧しさからは脱却していたかもしれない)

そこから先の日本は快進撃。
1970年代までの高度経済成長期、日本列島改造論による地方の都市拡大、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた1980年代から1990年代にかけて、日本は凄まじい勢いで世界有数の経済大国に発展してきた。
団塊世代の層はこの時代、組織内の若手〜中堅(20代〜40代前半)として大活躍してきたに違いない。
いや、団塊より少し上の世代が第二次世界大戦によって大量に失われているから、若手といえども組織の中心となって牽引していたかもしれない。
この頃の成功体験は彼ら世代の心に刻みつけられているはずだ。

ハコモノも量産してきた(といえる)団塊世代

前回も書いたのだが、建築物(特に公共施設を刺すことが大半)が「ハコモノ」と言われ、世間からのバッシング対象になっていったのは1990年代以降である。

ハコモノの登場

「ハコ」と「ハコの中身」つまり建築とアクティビティが分離し、建築の価値が毀損されていく象徴的な出来事がある。それが「ハコモノ」という呼称の登場である。1980年代半ばから建築がハコモノと称されるようになる。表1(本にはグラフが添付されているが省略)は「ハコモノ」という言葉が「朝日新聞』紙上に登場した年代ごとの頻度である。

最初に「ハコモノ」という単語が使用された記事が登場するのは1985年であり、1993年頃まではほとんど使われていない。しかし、建築物に対する公共投資がピークに達する1994年ごろから増え始め、ピーク時の2009年には183件を数えるまでになった。

村淳氏「建築家の解体」第4章 ハコモノ化する建築より

1990年代中期から2000年代にかけて、団塊世代はどういった年齢層だったのか?
先に触れた人口ピラミッドで見ていくと、40代中盤から50代を過ごしていたことが分かってくる。
つまり、彼らが組織の中で管理職以上、それもかなり責任の大きいポジションにいる時期「ハコモノ」が量産されてきたといえる。

1990年の人口ピラミッド(社人研データより)
2000年の人口ピラミッド(社人研データより)

すでにバブルは弾け、経済成長も急ブレーキがかかっていた時代であったが、過去の成功体験がそうさせたのか、ハコモノによって過去の隆盛を取り戻そうとしたのかわからないが、世の中にはハコモノと呼ばれる、外側と中身が分離した公共施設が数多く建設されてきたのがこの時代だ。

ハコモノとググって出てきた画像群、ほとんどがネガティブなイメージで描かれている

高齢化率がまだまだ低かった頃に、集めた年金資金を厚労関係の公共施設にジャブジャブ使い込んでいたという闇歴史も・・・
ちなみに1990年の高齢化率は12.1%、現在は29.1%まで上昇している!

”安心の日本製”でもハコモノは確実に壊れる

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中で、マイケル・J・フォックス演じるマーティに「いいものはみんな日本製だよ」と言わしめたMade in Japan製品。
ハコモノも品質よく造られてはいても、永遠ではない、残念ながら確実に壊れるのだ。

1990年代中期に建てられた施設は、現在の築年数は約30年。そろそろ大規模に改修しても良い時期である。
しかし当時と比較して、行政には圧倒的に金が足りていない。
直す金が簡単に捻出できないのだ。

そもそも、外側と中身が分離したハコモノという代物、その維持管理費が莫大にかかっていることも多い。
都市規模と比べて立派すぎる美術館、生涯学習センターという名の巨大施設、「にぎわい」とか「交流」とか「ふれあい」とかのネーミングがつけられた目的のよく分からない公共施設が、世の中にゴマンとある。
これらに共通して言えるのは、ハコの立派さの割に、人口密度が極端に低かったり、全国どこにでもあるようなコンテンツだったりする。

よく形容されるのが「お荷物施設」という扱いなのだが、お荷物だからと言って、そうそう簡単に捨ててしまうことは許されない。
そう、これらを造ってきたのは、栄光に満ち溢れた我々よりも上の世代なのだ。
加えて、戦後の貧しい時代も知っているせいか、勿体無い精神が働くのだろう、今あるものを「壊す」とか「捨てる」ということを極端に嫌う世代でもある。

苦しい思いをしながら50代になった僕たち団塊ジュニア世代にとって、「公共施設マネジメント」においても、まだまだ苦悩は続くのだ。

2040年の人口ピラミッド(社人研データより)

この価値観が完全に消えていくのは、団塊せだいが90代を迎え、我々が人口全体のマジョリティとなる2040年頃まで待つしかないのだろうか?
いやいや、そんな悠長なこと言っていると、行政はきっと・・・ケンシロウからこんな言葉を掛けられるだろう「お前はもう死んでいる」とw

我々を取り巻く環境は、受験戦争の時よりも、就職氷河期の頃よりも、もしかしたら、もっと酷い状況かもしれない。
目の前の課題は山積状態だし、起死回生の特効薬がある訳でもない。
ほんとは苦悩に満ちた現状から逃げ出したい気持ちはやまやまなのだが、そんな時、安西先生の言葉が頭をよぎるのだ。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」と。

さて、「公共施設マネジメントにおいても苦悩する団塊ジュニア世代」シリーズはこれにて終了。
公共施設を取り巻く環境は、かなり悪い状況ではあるが、その中で日々FMとか公民連携という活動を軸に活路を見出そうとしている。

そのあたりの具体的なお話はまた次の機会にて・・・たぶんw

前回までのバックナンバー(本シリーズ分)

シリーズの第1話から第3話までは下のリンク先からどうぞ。

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