前回紹介した日本辺境論の中から、今回は政治の観点から感じたことを紹介していきます。前回の議論は以下をご参照ください。
日本という国は、中国やヨーロッパ諸国とは違って自分たちは常に世界の中心ではなく端っこの存在であり、劣っていて、中心に向かって追いつけ!追い越せ!と常に変化し続けなければいけないと思っている、その主体性のなさこそが日本なのだ、ということを筆者は言っています。
まさに、それな。私は心の底から日本人なので、激しく同意します。会社でもそう。競合他社がこんな商品を出してるのに、どうしてうちは出来ていないんだ、と怒られる。でも自分たちから新しいコンセプトは出さない。そんなことをしたら、日本じゃないんだ。
何か大事なことを決める会議も、論点を明確にするより、回数をこなしてたくさんの偉い人が出席して、いっぱい熟慮した雰囲気を出す方が重要だったりする。特に新しいことには慎重になる。でも、競合他社がやってるならすごいスピードで決断してキャッチアップしはじめる。
それは、それが日本のアイデンティティなのだと筆者は言う。そうなのかもしれない。だから外資系の社長がカリスマ性をもってビジョンを示したりするのを見ると、すごいなぁ、どうして弊社はあんな風にならないんだろう、って思うし、あれを真似しましょう、って思う。まさに日本。
この辺の考え方が、日本社会での政治・交渉とかを大きく左右することは明白です。誠実に難しい公約を掲げる政治家より、バカでも分かる単純なことを繰り返す偉そうな政治家の方が圧倒的に大衆ウケする。そういう雰囲気が醸成されているのです。
もしあなたの所属する群れで、何か理不尽だなぁと感じることがあったら、こうした日本的なふるまいを思い出してみてください。ADHDの強い人ほどこうした「雰囲気」による意思決定は理解できないと思います。でも、それが日本の多数派なんです。