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J.S.ミル 功利主義とは何か~幸福の質を決める2つの軸

今回はJ.S.ミルという人の書いた「功利主義」という本の第一章・第二章を読んだので感想を書いていきます。まだディスタンクシオン読み終わってないけどね!仕方ないね!

筆者の狙い~本書で伝えたいこと

功利主義というのは簡単にいうと「最大多数の最大幸福を目指す」ということですが、筆者はそれによって一体どんなことを主張したいのか。それが第一章・第二章に書かれているので、要約します。

何が正しくて何が不正なのかという判断基準、いわゆる道徳とはどのように決まっているのか。この問題は2000年以上にわたり、多くの哲学者たちが議論してきたが、未だに結論は出ていない。
しかし、それが功利主義によって説明できるのだ!
人間の究極の目的は、可能な限り苦痛を免れていて、可能な限り快楽が豊富な生活状態である。これが人間の行為における道徳の規準となるのだ!

これがいかに正しい考えか、というのを筆者はずっと語っています。でも改めて読み返すと、大したこと言ってないですね。

よくある誤解~少数の幸福はどうなるのか

最大多数の最大幸福のためには、少数の幸福は犠牲になってもいいのか? 筆者は以下のように反論する。

法律や社会制度は、あらゆる個人の幸福を、可能な限り社会全体の利益との調和に近付けるようにせよ(P47)

功利主義は、個人も、全体も、みんなが幸せになって、その幸せの総和が最大になるようにしよう、と言っている。反社会的な行為によって自分だけの幸福を求めることも、全体の幸福のために個人に犠牲を強いることも、この原理に反する。

社会の幸福を増やすために自ら進んで自己犠牲を払おうとする人は高貴であり、徳が高いと言えるだろうが、自己犠牲が善であるとは認めない。それは社会が不完全であるが故にそうせざるを得なかったと言える。素晴らしい行為ではあるが、理想的な行為ではない。

基本的に善といえる行為の大半は、世の中全般の利益ではなく、一人ひとりの個人の利益を目的としたものでいいのだ。

もう一つの論点~幸福の質とは

最大幸福を目指すにあたって、幸福には質の高低があると筆者はいう。豚の欲求のような動物的快楽は質が低く、ほとんどの人は自分の能力を高度に働かせる質の高い快楽を求める。そういう「尊厳の感覚」を全ての人が持っているという。

この点については反論も多くあり、筆者の主張も若干弱く感じる。ここで、私なりに幸福の質について考えてみる。

端的に言うと、動物的で質の高い快楽があると私は考えた。それが射幸心であり、パチンコであり、課金ガチャだ。これは、三大欲求を満たすだけの動物的欲求より明らかに快楽の質が高い。そして、自分の能力を高度に働かせた尊厳のある快楽ではない。だからこそ、多くの人がのめりこみ、そして苦しんでいく。

幸福を決める新しい2つの軸

筆者は、動物的か人間的か、という軸で快楽の質を議論していたが、それは違うと思う。快楽の質の高さは、レアリティに依存するのではないだろうか。レアな幸福ほど質が高い、ありふれた幸福は質が低い。

動物的な幸福であっても、レア度が高いものは質が高くなる。豚の快楽と筆者がさげすんでいる食欲だって、世にも希少な珍味を入手すれば質が高くなる。絶世の美女を自分のものにできれば、性欲だって質が高くなる。

ではレア度が高ければ、動物的でも人間的でもどんな快楽でもいいのかというと、それも違うだろう。筆者のいう動物的・人間的という軸よりも、より正確に快楽を分類しているのは、フロー理論で述べられている能動的か受動的か、という軸ではないかと思う。フロー理論では、能動的な活動ほどフロー状態に入りやすく、人生を幸福なものにしてくれると言われている。

幸福の質は、レアリティと能動受動の2軸でマッピングできるのではないだろうか。ざっとまとめると以下のようになると思う。

図1

能動的な快楽の方がよい理由

受動的な快楽は、自らコントロールできない。ガチャで当たりが出るまでひたすら耐えるしかない。面白いテレビ番組に出会うまで、つまらないテレビ番組ばかりでも見続けるしかない。それが受動的な快楽だ。それは非常に大きなストレスを伴う。

一方、能動的な快楽の場合も、同じくらい耐えるしかない。なかなか成功しない、失敗の連続である。それでも自らが選んだ失敗であるという意思決定を伴うこと、自らが主体的に取り組んだ行為であることは、ストレスを大きく抑えてくれる。

だから、能動と受動でレア度が同じで、同じくらいの幸福をもたらしてくれるものがあったとしても、そこにたどり着くまでの過程で、可能な限り苦痛を免れるためには、能動的である方がずっと良いと思われる。

そうやって考えると、筆者のいう功利主義もだいぶ納得しやすいものになるのではないかと個人的には思った。

能動的になるために

現代社会において、多くの人は受動的な快楽におぼれて苦しんでいると思う。いきなり能動的に、人生の目標を立てて邁進しろと言われても、そんなことができる人は少ない。

だから、まずはレアではない、ごく普通の当たり前のことだけど、能動的な幸せを手に入れるところから始めよう。毎日規則正しく睡眠をとる、一日三食きちんととって、適度に運動をする。そういうルーチンワークを、自らの意志で能動的にこなす、というのが、人生を能動的に変えていくための第一歩なのではないだろうか。

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