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2022.10.07 9月終わりの旅と馬

急に寒くなったね。
一昨日は暑くて半袖を着ていたのに!

その日はさわやかで秋らしい風が吹いていたので、出かける予定を取りやめにして家でオイキムチを作りました。さっきまでは窓から入る金木犀の香りにうっとりしていたのに、あっという間に部屋中がニンニク臭くなってしまった。情緒があるような無いような。。。

9月の終わりに馬に乗るために旅行してきました。ちょっと興奮がおさまってきたから忘れないうちに書いておこう。

①馬のどんなところに惹かれているか
②乗馬をどこでするか問題
③乗馬のスタイルの違い
④どうやって馬を操るか
⑤馬を作って壊す
⑥子育てとの類似点
⑦馬はどんな生き物なのか
⑧馬のお世話をしながら考えたこと
⑨どのくらい乗れるようになったか
⑩乗馬の他に何をしていたか

①若い頃から漠然と馬への憧れがありました。小学生の頃に読んでいた椎名誠さんの本の影響もある。農耕民族的な生活をしていたからモンゴルの遊牧民がうらやましく思えたのもある。自分が午年というのもあるような気がするし。

でも何より馬はきれいでしょう?目はくりっと丸くてかわいらしいのに筋肉はしなやかで高貴な雰囲気があって。生き物として素晴らしい姿をしていると思う。

大きさもいいよね。人間が触れ合えるサイズの動物としては一番大きいんじゃない?象だとちょっと大きすぎるし、ラクダに人間が乗っている姿を思い浮かべても一体化しているという感じはしない。

動物が動くスピードを感じるってどういう感じなんだろう?わからない。わからないけどすごくいい。

②馬に乗ってみたい、ようやくそんな夢を叶える時が来たようだと嬉しくなったけど、自分の中にイメージがあったのでその場所を探すのにしばらく悩んだ。

乗馬クラブのようなところに入会してお客さんのように乗せてもらうのではなくて、もうすこし馬と親しくなりたいという欲があった。できるだけ自然の中で馬のお世話などもして、どんな生き物か感じたりしながらゆっくり付き合いたい。

そんな風に色々考えていたら、ある大学時代の友人が思い浮かんだので彼を頼ることにした。以前はたまたま近所に住んでいたけど震災をきっかけに長野に移住し、ずっとそこで暮らしている。

普段から和装をしていて古武道の師範代。平屋の古民家に住み、まるで現代を生きていないような生活をしていてとてもユニークだ。馬に乗る姿もFBに流れてきてどうやら乗馬牧場にも出入りしているようなので、久しぶりに連絡をとってそこを紹介してもらった。

なんだかよくわからないけど続いている縁で、昔は教授なども集まってみんなで一緒にお酒を飲んだ。そういえば、その中の一人に山形の銀山温泉出身の山男がいて、いつも美味しい料理をふるまってくれていた。

長男が生まれた時は「子どもにヘンなモン食わすなよ」と出汁をとってゼンマイと鶏肉の煮物を作ってくれたり、麹から作った甘酒を飲ませてくれたりした。長男がスイカが好きだと知ると毎年大きな尾花沢西瓜を送ってくれていたな。あー元気にしてるかな。

えーと、話が逸れたね。とにかくそんなふうにして長野の茅野にある乗馬牧場に宿泊しながら乗馬体験をしてきました。 

③乗馬には大きく分けて2つのスタイルがある。ブリティッシュスタイルとウエスタンスタイル。

前者は乗馬と言われたときに一般的に想像されるようなスタイルで、馬を上手に操って障害物を越えその美しさを競う大会もある。日本にある乗馬スタイルのほとんどはブリティッシュスタイルで、競馬を引退した馬がクラブに来ることも少なくない。

でもそもそも競馬の馬は早く走るために品種改良されているし競争心が強くなるように荒っぽく調教されているから、本質的にはクラブの乗馬には向かない。手綱は両手を使って持ち、座った姿勢を1センチ単位で厳しく指導されることもある。

今回わたしが行ったところはウエスタンスタイル。いわゆる西部劇なんかで見る乗り方だ。手綱は利き手で持ち正面の位置で肘を曲げないようにして浮かせて保ち、反対側の手にはムチを持つ。

ブリティッシュスタイルとは鞍の形も違う。姿勢などには厳しくないがバランスをとれるようになるコツをつかむまでの難易度は高い。


④あぶみは土踏まずよりも前で踏むようにして、つま先を外側へ向けて踵を下げ、踏みしめるようにしてバランスをとる。お尻はペッタリと鞍につけないで、腰を立てて体幹で重心がぶれないようにする。

手綱はあくまでも方向転換の指示のためにあるものだから、体が揺れても宙に浮かせた状態を保つ。

方向転換は手綱を操って行う。体の真ん中に浮かせた手綱を左右に平行に動かして意思表示をする。ちょうどいい場所まで曲がったら手を真ん中に戻す。

手綱を引けば止まってくれる(だから怖がって手綱にしがみつくのは厳禁)。踵でお腹を蹴ると進むの合図。歩きながらスピードを上げたい時は腹を段階的に強くポンポンポンとリズムよく蹴り、ちょうど良い速度になったらやめる。意思表示ははっきりと。自分がどのルートに進みたいかを馬に動作で伝える必要がある。


⑤調教をしている責任者の方に繰り返し言われたのは「あくまでもここではこうしていますよ、という話ですが」という言葉や「私はそう考えています」という言葉だった。

乗った人の意思を手綱やお腹を蹴ることで馬に伝えて動かす。この乗馬の基本はどこも一緒だと思うけど、そのほかは馬を育てている場所や調教師によって個性があり、考え方も違うという意味だと思う。

例えば、馬と仲良く触れ合えるような場所では、馬は撫でられても人を噛んだり暴れたりしないように調教しなければならない。

ここには不特定多数の人が訪れて、初心者も上級者も同じ馬に乗る。どんな人が乗っても馬が同じように反応するように調教しておく必要があるから、なるべく馬が混乱しないように、馬に対してプレッシャーを与える=動く指示という構図を崩さないようにしている。

調教師が日々の調教でシンプルな指示を覚えさせることを「作る」と言い、私たちのような未熟な乗馬客が乗り、馬を混乱させることを「壊す」と表現していた。そしてまた客が降りた後の馬を上手に調教し作っていく、その繰り返しなのだと言っていた。


⑥馬と人間という種別の違いはあるけれど、まるで子育ての話を聞いているようだった。子育ての基本は、すごくシンプルに言ってしまえば「日々の世話をする」ことだ。赤ちゃんのうちは部屋を用意してお腹が空かないようにご飯を与えて排泄物の処理をする。

でも実際にはそれだけではなくて、育てる人の「どうやって育てるか」という意思が入っていくものだよなぁと思った。これをしちゃダメよ、それはいいことだ、という判断基準や舵取りはその家庭ごとに異なる。


昨日と今日とで親の言っていることが全然ちがってしまったら子どもは混乱するし、不安定になる。年齢や子どもの個性によって多少の変化や方向転換はしていくが基本方針は変わらない方がいい。

ここでは馬にも同じような考えで接しているのだなと思ってとても好ましかった。

馬の立場になってみると「いつもお世話をしてくれる人は同じような指示をしてくれるけど、今日乗っけた人はなんだかフラフラして、どうしていいかよくわからなかったよ。なんなのあれ~やだ~」と思いながら馬舎に戻ってくると、いつもと同じお兄さんが「大丈夫だよ、ほら、こうだったでしょ?」と同じルーティーンをしてくれて「あーほんとだ~よかった~」みたいな感じ。


⑦調教師さんは職人気質の人で、商売人という雰囲気はない分、とても誠実で馬という生き物の性質をできるだけ生かしたまま調教したいと考えている人だった。

「いろいろな考えがあると思いますが」と前置きをしながら興味深い話をたくさんしてくれた。(私なりの解釈がかなり入ってしまっているけど)

馬の最大の攻撃は逃げることなので、いざとなったら上手に自分を逃がしてくれるだろうと思える人の言うことを聞く。(強さが信頼になるわけじゃない)

手綱を引いて右を向けという指示を出す(プレッシャーを与える)と「えー」と思うけど、言うことを聞いたらパッと止めてあげる(プレッシャーから解放する)と「あ、いうこと聞いたらやめてくれるんだ。ずっと嫌なことはされないみたい」というのを繰り返して調教していく。

できるだけ怠けたいので、曖昧な指示を出してくる人を試したりする。どのくらい手綱を引いたらわからなくてちょいちょいと引っ張ってたら、反対側に歩いていってしまった。そういう時は「ダメ~、こっちって言ってるでしょ」といたずらに負けないで強い意志を示さなくちゃいけない。「まぁいっか」と許すとどんどん言うことを聞かなくなる。

肉食動物の場合、餌を与えてくれる人がいい人だから、餌をあげる→ご褒美をあげる、というやり方でも調教ができるが、馬の場合はてくてく歩いてそのへんにある草を食べればいいわけだから、根本的な馬の性質を考えると同じ方法は有効でない。

馬は他の生き物をほとんど認識しない。毎日世話をしているけど顔を覚えているかどうかはわからない。わりとぼんやりした生き物。(でもそれは誰でも乗せられるようにあえてフラットな状態に調教しているからかもしれない。人によって態度を変えるようでは乗馬牧場では困るから)


馬が急にヒヒーンと鳴いたり、首を激しく上下に振ったりしているのを見て、他のお客さんが「あらぁ~これはどんな時にこうするんですか?どういう意味があるのかしら?」と質問したとき「どうでしょうね。人間だって全ての動きに大きな意味があるわけじゃないので馬も同じですよ。首を動かしたかったんじゃないですかね」と言っていてハッとした。

いちいち意味を持たせようとしないで「首を動かしたかったら首を動かしたんだ」とそのまま受け取るのはすごく自然なことだし、いいなと思った。

馬の調教は馬に乗っている時(フィールドワーク)にだけするのではなく、その他の日々のお世話(グランドワーク)の中ですることも重要。

(私がやったグランドワーク)餌をあげるとき、餌が近づいてきたら馬が2、3歩後退するので、そのタイミングで餌をあげる。ブラッシングをするときには馬舎に入り、馬の体に触れて人間がそこにいることを意識させ、軽いプレッシャーを与えて良い場所に移動させながらブラッシングをする。そうでないと馬は他の生き物がいることを意識していないので、壁と馬に挟まれて圧死しちゃう。

基本的に乗馬する時以外は馬に触れてほしくないけど(触れる=指示というふうに調教してあるから)、乗馬経験者ほど「よろしくね」「かわいいね」などと撫でたりする。それは一方的に押し付ける愛情であって人間の自己満足である。 

触られて馬が嬉しいかどうかはわからない。(人間を認識していないから)むしろ「えー触ってくるけど、なに~?何かして欲しいってことなのかな?よくわからない~」という感じなのかもしれない。触れられて反応する=教えらていないこともしていいのかな?と思っちゃうのでやめた方がいいなと思った。(ふれあい牧場などとはまた別の概念)

馬舎のお世話(馬の糞尿がたっぷりの干し草を一輪車に乗せて捨てに行く)(新しい干し草をひく)(大きなバケツに水をたくさん入れて両手で運んで飲み水を補充する)(馬の大きさ、体調に合わせた餌を計量して用意する)(干し草だけでは栄養が足りないので麦など数種類の飼料も混ぜる)などもさせてもらった。

糞尿まみれで馬舎を掃除している時、他の観光客の方がやってきて「やはりこういうお世話をしていることで馬との信頼関係が少しずつできていくものなのでしょうね」などと感心したように声をかけてくれたが、調教師の方が「いや、先ほども言いましたけど馬は基本的には人を認識していませんから、あまり関係ないでしょうね」とバサッと答えていてすごく気持ちが良かった。


⑧お世話をしたから仲良くなれると思うのは、見返りを求めていることと同じだよねと思った。

これだけしてあげたでしょ?と相手に同じだけのものを返して欲しいと思うのはエゴだから「自分がしたいからする」範囲について、その行為の純粋さについてもっと考えるべきだなと思った。

そして、馬は自分に何も期待してこないところがいいなと思った。

好きだから馬をじっと見つめていたし、ブラッシングしながら温かい身体に触れられてすごく幸せだった。こんな大きくて美しい生き物をさわっていいの?という気持ちだった。

何のためについているかよくわからないたてがみが絡んでいるのを直したり、寝そべってくっついた糞尿だらけの毛をほぐしたり、掃除したばかりの草の上に盛大におしっこをするのを見たり(どこかの蛇口が壊れたのかな?と思うほど大きい音がした)、蹄の間に入ったゴミを取ったり。

そうして私がどんなにうっとりとした気持ちで触れていても、馬はわたしのことを「なんかそこに居るな」としか思っていないんだなと思うとおもしろかった。

強い好意を向けられると、それに見合うだけのものを返せるかわからないから逃げたくなるし、愛情があったとしても「それがずっと続くよね?」と言われたら「わからない」と答えたくなる。

いやなことがない状態が私にとって一番幸せなことで、向上心とか勝ち取るというよりは平和、自由の方が魅力に感じる。強い気持ちの近くにいるのは少しこわい。

肉食動物の原動力がプラスの方向だとすると(攻撃をして身を守る、餌をもらって調教される)、馬はその逆のマイナスの方向が原動力になっているといえる。(逃げることで身を守る、プレッシャーをやめることがご褒美)それはハッとするような気づきだった。

馬という動物について何も知らないまま会いに行ったけど、すごく楽しかったしますます馬のことが好きになった。


⑨実際に馬の上で過ごした時間はわずかだった。1日1時間くらい。

初日は馬に乗ってグラウンドを歩きながら馬に指示を出し、自分の意思を伝える練習をしてから外乗へ30分出かけた。

高さにはわりとすぐ慣れたけど、馬の上は想像異常に心もとない状態だった。ちょこんと乗せたお尻1点と踏ん張った両踵の3点で、やじろべえのようにバランスをとって乗るんだけど、これが頭ではわかっていても身体が馴染むまでは難しい。

方向転換するために手綱を持った片手を動かすから上半身がぶれる。馬も揺れている状態で下半身だけでバランスをとらなくちゃいけなくて。馬を誰かが捕まえてくれているわけじゃないから、何かが起こっても自分でどうにかしなきゃいけないんだな、などと微妙な恐怖感もある。

とてもじゃないけど、馬に乗って草原を走り風を感じるなんていう余裕はなかった!

でも行った時期がとてもよくて、お天気にも恵まれてまるで天国のようだった。わずかに紅葉してきた葉っぱと、白樺の木立の間から差す光の中をパカパカ馬に乗って散歩したなんて、わ~思い出すだけでとても幸せな風景がよみがえってくる。


2日目と3日目に早足を練習した。4日目に外乗へ出かけて獣道みたいな細い坂道をのんびり歩いているとき、先導してくれていた方が「ちょっと走ってみましょうか」というので「え、うそ!私まだ初心者ですよ!」と声をかけたら「え~そうなんですか~?はははは~」と言いながらもうパカッパカッと馬を走らせてしまっていた。

前の馬についていくように調教されているので、ちょっと脇腹を蹴っただけで私の馬もパカッパカッと早足になった。馬がちょっとよろけたら崖に落っこちるじゃん!という場所だったのでドキドキしたけど、心の乱れが姿勢や手綱の乱れにつながるので、がんばって集中した。

姿勢、手綱、うん、よし、と思いながらバインバインと馬の上でお尻を弾ませながら、ちょっとこれは本当に楽しいな!と思った。


⑩旅行中どんな風に過ごしていたかというと、
6時起床 支度して馬舎へ向かう
6時半~ 馬のお世話(掃除、ご飯、ブラッシング)
8時半  朝食(すごくすごく美味しい)
乗馬をしたり馬を眺めたり散歩をしたり本を読んだり
11時~ 馬のお世話(ご飯、お水、ご飯の計量)
乗馬をしたり馬を眺めたり散歩をしたり昼寝をしたり
16時~ 馬のお世話(雑用いろいろ、ご飯、ブラッシング)
17時半  お風呂
18時半  夕飯(初日と2日目はそのあと宴会)
ねむくなったら寝る

だいたいこんな感じだった。馬の世話は私の働きなんて頭数に入れていないから、都合のいい時間に行って「お手伝いできることはありますか?」と聞いて任せてもらえることだけやらせてもらった。

とにかく馬の近くにいたかった。朝起きたら窓を開けて馬の声を聞きたかったし、昼寝や読書も馬舎が見える原っぱにいた。宿の方にコーヒーを入れてもらって、鹿の糞がコロコロ落ちているのをさけて座り込んでいたら「すごく満喫しているね」と言われた。全くその通りで、ただ「わー馬だ~」と思いながら飽きずにぼーっと過ごしていた。


初日と2日目は合気道をする立派な先生たちが神戸から乗馬合宿に来ていて、日中は乗馬の見学、夜は宴会にも参加させてもらった。

ちょうどその時、諏訪大社の神さまと仏さまが150年ぶりに再会するというとても貴重な奉告祭が行われることになっていて、それに合わせて合宿の日程を組まれたそうだ。

この牧場を紹介してくれた友人が、神戸まで武術の出稽古をしに行っている関係で「はは~っ、先生のご学友で」などと恐縮するほど丁重に扱っていただいた。代表の方は72歳のお誕生日を翌日に控え、人生初の馬の駈足を経験されたということで、みんなでたくさんお酒を飲んで楽しかった。


御一行が去られた後には、西部劇に憧れてから人生を馬に捧げていて、現在は週3回も乗馬クラブに通っているという女性と一緒に夕飯を食べた。「ナンクラお乗りになりました?」と聞かれて「???」だったが、乗馬の1レッスンを「○鞍」と数えるらしく勉強になった。

合気道の昇級にも回数が深く関わってくるらしく、皆さん果てしない数をこなしているようで頭が下がる思いがした。


あとは白樺湖をぐるっと1周したり、テディベアの博物館を覗いたり、お土産やさんに入ったり、別荘の壁を塗っている職人さんの近くへ行って、庭にあるブランコで遊びながら山を眺めたりした。

とにかく楽しい旅だった!馬はとてもかわいかったし、朝もやの白樺湖は美しかったし、食事も全部手づくりで美味しかった!


旅行は全部全部よかったのに最後に一つだけものすごく嫌なことがあった。帰りの新幹線の中でワイシャツ姿の男性が途中から隣に座った。イヤホンをして携帯を見ながらお酒をたくさん飲み、手のひらにザラザラとお菓子を出してから顔をあおって舐めるように食べていた。そして遠慮なくゲップをし、歯をせせるような汚らしくて嫌な音を立て続けた。

食べたり飲んだりをずっとしているからマスクをずっと外している。「音を立てるのをやめてもらえませんか?」と何度も言おうとしたけど言えなかった。体ごと窓の方を向き見えないようにしてから目をつむったりもした。でもどうしても嫌な気持ちはなくならなくて、男性が席を立ったタイミングで通路に移動して、指定席券を見にきた駅の方に「我慢ができなくて」と訴えた。

ちょうどその時に家族ラインで会話していたので「あんな人の頭には鳥の糞が落ち続ければいいのに」とかひどいことを書いたら気がまぎれた。

馬がすごい音を立ててゴリゴリと草を食べたり、至近距離でボトボト糞をしてもなんとも思わないのに、なんでただおじさんがシーシーしているだけでこんなに嫌な気持ちになるのかよくわからないけど、とにかく嫌悪感がすごかった。

もう私なんて山から下りてこなければよかったんだ!とまで思った。

翌日も早い時間に目が覚めたので近所に散歩に出かけた。あたりまえだけど馬はいなくてすごく悲しかったけど、景色としては十分にここも山っぽい。

旅行にでる前にはしていなかった金木犀の香りがふわ~っとしてきて、秋が来たんだなと思った。


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