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わりと日刊だらく[No.267]〜むしのいのち〜

蚊とかハエとか小さい虫はうざいのでふつうに叩き潰してる。そこにはなんの感情もない。だから、自分にとって有害なものはたとえ小さな命でもどうでもいいものというか、命を奪うことになんの躊躇もない。

脳の大きさとか哺乳類だからとか、なんらかのデータを用いて「命の大切さ」みたいなものに理屈をつけくわえることはできるけれど、本質的には自分の感情が動くかどうかでしかない。虫ケラは別に死んだってどうでもいいのだ。

というか虫のいのちを気にしていたら、毎日大量に死に続けているはずだから、それを考えていたら夜も眠れなくなってしまう。人間だって毎日とんでもない災難や事故にあったり、おなじ人間に殺されたりしてる人たちもいるというのに、虫ケラのことまで考えていられない。ただでさえ、他人に関心を持つためには、自分に色んな力がなければならないのに、虫のことなんかいちいち気にしていられない。


とはいえ、僕は虫が好きだ。かわいい。愛着を持つというほどではないし、うちには猫が2匹いるので飼って愛情を注ぐ余裕もないけれど、道端で見つけるとうれしくなる。

それは僕にとって都合がいいからだ。僕の周りをとびまわり邪魔をするわけでもなく、ただそこにたたずんでひっそりと生きている、そういう無害な存在だから、僕は虫が好きなんだと思う。

タランチュラなんかは、こちらが攻撃しなければあちらも攻撃してこないらしいから、機会があれば手に乗せてみたいとすら思う。毛虫は手がかぶれるような気がするから持たないけど、持っても何もないならぜんぜん持てる。ゴキブリはすぐに逃げそうだし速いからキモいので嫌だけど、デュビア(ゴキブリの一種)なんかは動きが遅いのでぜんぜん平気。


そんな余談はさておき、今日は買い物帰りにおもしろい場面に遭遇した。

裏道に女の人がいて、手に持っている大きめの紙か何かでコンクリートの地面を必死に、しかし優しく何かを寄せようとしていた。

のぞいてみると、かなりデカいカマキリがいた。

何かを察した僕は手づかみでカマキリの胴をもって、草むらにそっと置いた。

その女の人に「わぁ、すごい」とかなんとか言われながら感謝されてウケた。カマキリってなんかちょっとこわいし、そもそも虫を触るのに慣れてない人はキツいのかもしれない。

というわけで、虫助けと人助けを同時にしてなんかいい気分になったのでした。


いい人アピールをしておくと、僕はちょこちょこと虫助けをしている。なんとなく、車に虫が轢かれるのを想像すると嫌な気持ちになるし、ちょっとでも長生きできたらなんとなくいいような気がするのでやってしまう。

別にどこかでそいつが死ぬって想像してもなんとも思わないのだけど、やっぱり死んでほしくはない。だからやってしまう。

痛みに対する共感が働いているから、痛みが起きないようにしているだけなのかもしれない。だとしたら、ものすごく合理的な判断だ。僕が痛くなりたくないから助けている。うん、たぶんそうだ。


どうやらそういうことらしい。

そして、人間が傷つくところもあまり見たくはないので、できれば僕の周りにいる人はそれなりに幸せであって欲しい。そういうことなんだな。

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