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【1993/9/15 読売】カンボジアPKO 任務完了し帰国

全体概要

  • 世界の平和のために尽力することは当然の責務であり、PKOの活動は十分に評価されるべき

  • しかしながら、現状のPKO協力法には限界があるので、より深い活動をするためには法改正が必要であり、この議論と共に当時の政権の細川政権に対して憲法問題へ着手してほしい

  • PKO協力法を可決するにあたって、野党がした行動は議院内閣制度の根幹を揺るがす愚行と伝え、強い否定をした

記事説明

この日のトップ記事は「厚生年金の制度の変更」に関する記事であった。

記事の位置と主張

 この日、社説欄ではPKOに関する内容を取り上げなかった。

1面左下:カンボジアPKO 任務完了し帰国

 1面では、淡々と事実を伝えるのみであった。

 国連平和維持活動(PKO)でカンボジアに派遣されていた自衛隊第二次派遣施設大隊のうち、小森宏・副大隊長ら帰国第一陣四百四十九人が十四日午後三時二十分、国連チャーター機で北海道千歳市の航空自衛隊千歳基地に到着した。部隊の帰国で、昨年九月から第一次、第二次派遣を合わせ一年間に及んだ自衛隊初のPKO活動は、ほぼ任務を終了した。

読売新聞 1993年9月15日 朝刊

2面トップ:PKOカンボジアの教訓 上

 2面では、日本が定めたPKO協力法内でできることと、現地で求められる活動の差について取り上げた。

 国際平和協力本部の関係者は「法律を作る時に、警護業務を想定していなかった。
(中略)
警護のニーズがいかに高いかわかった。それをやろうと思うと法改正をするしかない」と語る。

読売新聞 1993年9月15日 朝刊

現地のニーズに応えるならば法改正をしなければならないことを伝えた。
また、PKOの問題点をさらに伝えた。

 宮沢前首相の側近は「犠牲者が数人出ると、日本のPKOはすぐに吹き飛ぶ。まだ、その程度の熟度なんですよ」と、しばしば語っていた。
(中略)
 防衛庁幹部はじみじみと語る。「これは戦後の自衛隊の歴史そのものだ。戦争で国が崩壊したため、”軍人”は何をするかわからない、という発想が生まれた。だから、PKO協力法は可能な業務を列挙して、隊員ができる行動をすべて文章で表現している。禁止事項だけ書いている外国軍隊の規則と逆なんですよ」

読売新聞 1993年9月15日 朝刊

読売新聞は、これらを法の「穴」と表現し、PKOの問題と限界を示唆した。

15面トップ:検証 カンボジアPKO帰国 「自衛隊」アジアが理解

 15面ではアジア各国のPKO完了に対する反応とその影響について論じた。

日本が金銭面上の貢献だけでなく、国家の意思を明らかにして汗を流す国際的共同支援作業に加わり、役割を果たすことができた意味は決して小さくない。

読売新聞 1993年9月15日 朝刊

また、今回の活動には自衛隊が必須だったことを主張し、自衛隊が今後すべきこと、そして議論すべき事項をまとめ、憲法改正の問題にも言及した。

 今後、自衛隊は派遣で得た教訓を分析し、その現実を国民や政府に明示すべきだろう。 これを受けた側はその意見に率直に耳を傾けなければならない。
 そして議論を尽くしていけば、PKFの凍結の早期解除、自衛隊の任務のなかにPKOをどう組み込むか、という自衛隊法改正問題、さらには憲法との整合性の問題におのずと結論が出てくるのではないか。 PKO参加要請は、明日にでも来る時代になっていることを忘れてはいけない。

読売新聞 1993年9月15日 朝刊

30面トップ:パパが帰ってきた…! 涙と笑顔で家族と再会

 カンボジアで任務を終えた隊員の家族のインタビューなどがまとめられていた。「次は行ってほしくない」と複雑な心境を語る家族の話に始まり、「参加して本当によかった」と充実感でいっぱいの小森宏副隊長の言葉で締めくくった。

そのほか日の記事説明

1993年9月16日 社説

 連立与党をまとめ上げてPKO法と共に憲法見直しの議論に着手すべきであることを説いた。PKO協力法には2つの課題がある。
1,平和維持隊(PKF)の解除問題
 PKFの凍結はPKOの実態から見て無理があると指摘。
2,国連と日本政府による指揮系統の二元性問題
 指揮権は国連に統一すべき。
これらは結局のところ自衛隊が合憲かどうかが曖昧なまま放置されているところに問題があり、細川政権には憲法問題にも着手してほしいことを伝えた。

1993年9月16日 PKOカンボジアの教訓 中

 タイの首相やUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)軍事部門兵部長からPKOの活動に関して良い評価をもらうことができたことを伝えた。読売新聞は法整備よりもUNTACに日本人を送り込むことで、日本の印象をより向上させる必要性を示唆している。日本の国連大使は、日本のPKOの率先参加がますます重要だと指摘した。限界はあっても、日本としてやれることをやっていくしかないという外相の言葉で締めた。

1993年9月18日 PKOカンボジアの教訓 下

 国際平和協力本部関係者は自衛隊を派遣させて本当によかったと話す。当時の官房長官は日本が地球上のどこかで継続的にPKO活動をしているという体裁を保たなければならないと話す。しかしながら、連立政権の中でもPKOに対して慎重派がいるため今後の取り組みに注目するようであった。

1992年6月16日 1面及び社説

PKO協力法が制定された翌日
 当時の連立政権である自民・公明・民社党の賛成多数で可決され、野党である社会党・社民連は欠席し辞職願を提出、共産党は牛歩投票を行った。このことに関して社説では以下のように伝えた。

自分たちの主張が通らないからといって、議席をほうり出すのでは、国民の代表者としての資格を自ら否定するようなものだ。
(中略)
このようなやり方がまかり通れば、憲法で保障された首相の解散権を、少数党が握ることになる。 それは議院内閣制度の否定破壊を意味する。

読売新聞 1994年6月16日 朝刊

社会党・社民連が行った行動を記事内では「愚行」と表現し、強く否定した。一方、PKO協力法の成立の意義として以下のように伝えた。

 自衛隊の海外街派遣を含む同法に対しては日本が軍事大国化し、再び戦争の道へ進む恐れがあるなど、誤解、曲解に基づく批判がいまだに一部に根強くある。しかし、同法を整然と実施することにより、そうした誤った批判は一掃されるだろうし、またそうしなければならないと考える。

読売新聞 1994年6月16日 朝刊

国際社会の中ではこのPKOの活動は当然の責務であると伝え、これを遂行できるのは日本では自衛隊のみであり、自衛隊の必要性も示唆した。また、世界平和への貢献についても以下のように伝えた。

 戦後の日本は、東西冷戦という枠組みの中で、ひたすら経済発展につとめ、その間、平和への貢献については、もっぱら”人まかせ”だった。
(中略)
 各国が危険を分かち合って協力するという気持ちを持たなければ、国際社会の秩序は維持できない。 日本の協力は、日本自身の平和と繁栄を守ることでもあるのだ。

読売新聞 1994年6月16日 朝刊


読売新聞の主張まとめ

  • 世界の平和のために尽力することは当然の責務であり、PKOの活動は十分に評価されるべき

  • しかしながら、現状のPKO協力法には限界があるので、より深い活動をするためには法改正が必要であり、この議論と共に当時の政権の細川政権に対して憲法問題へ着手してほしい

  • PKO協力法を可決するにあたって、野党がした行動は議院内閣制度の根幹を揺るがす愚行と伝え、強い否定をした


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