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反道徳のすゝめ

人生の悟りの境地のひとつとして反道徳について、
ここでは「野性」と仮に名前を付けて書いていこうと思う。

道徳と言うと誰かに優しくしなさいとか社会の役に立つとかそういったことであると思うが、それは人間の本質ではない。我々人間において最も優先されるべき物、すなわち本質とは生存である。生き残るためならたとえ殺人でもなんでもする。その手段を選ばない「野性」が人間の本質である。そうでないと今頃私たちは絶滅しているだろう。

「野性」は主に利己的なエゴイズムとして説明することができるだろう。自分より豊かなものへ対する嫉妬。恋の嫉妬。破壊衝動。他人を見下す気持ち等。社会生活に適合するために私たちはこれらを隠さなければならない。

例えば誰かと話している時、内面ではこいつ馬鹿だなと思いつつも口では「へーすごいですね」と適当に話している時。道徳を白、野性を黒とすると、我々は相手に見せるからだの前側に白を出して、背中に黒を隠している感じである。

社会的な道徳を信仰していると、黒い野性は存在してはならないものだと否定するようになる。だから前に白、後ろに黒を隠した状態で、背中にある野性から眼をそむくことで、自分が潔白であり道徳的に正しい存在であると認識しようとする。

しかしこれは自分に嘘をつく行為である。野性は人間の本質であるから誰にも存在するし、消えることはない。存在するものをなかったことにし続けなければならない。

そして野性は本質であるが故に隠していても無意識に出てしまうことがある。自分の行動を見返したときに、自分の行動がクソだったら、否応なしに自分に野性があることを認めなければならない。そうするとそれからも目をそらし逃げるか、自分の存在価値について悩むしか選択肢がない。

人間は目をそらすことが得意な生き物である。例えば宿題をしなければいけないとわかっていてもゲームをしている時、背中に悪い気配を感じながらも画面に向かっているような感じ。これは気づいているからまだいいけど自覚がない場合がある。でも本当はうすうすわかっている。

ではこの自分への嘘から抜けるためにはどうすればいいのか。

答えは簡単である。
野性は全身にみなぎらせるのだ。野性を否定し背中に縛り付けていた道徳を破壊するのだ。自分はクソな生き物で、エゴの塊であることを認めてしまおう。そしてエゴを良いものと思おう。

そんなことすると犯罪者みたいになってしまうのではないかと思うかもしれないが、実際に経験するととても人生が充実するようになる。

全身にエネルギーが満たされて何事にも全力で取り組める。自分はできるというよくわからない自信が湧き、前よりも問題を解くのが早くなり頭が良くなる。生の実感がわいてきてとても良い。

しかし、注意しておきたいのが、からだの健康を保つことを忘れないことだ。よく寝てよいものを食べてよい運動をしてからだを健康にしないと、心や頭は健康にならない。まずは睡眠時間を多くとること。それがすべての健康の必要条件。

これを知る者はこれを好む者にしかず。
これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。

すべてのことを楽しめるような人生を歩もう。
野性を解き放て!

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