除夜の鐘と騒音と記事のリサイクル


 除夜の鐘がうるさいという記事は以前にも話題になりましたがそのとき大きな反響がありました。騒音問題の記事は度々同じ内容で”リサイクル”されることがとても多いです。SNSなどでは全く同じ画像と全く同じ意見が何度も何度も繰り返されているのを見かけます。

 最後には”不寛容”で締めくくるのがお決まりとなってしまっています。今回は被害者の精神状態叩きまで”専門家”のコメントを切り取って行われているようです。騒音問題の専門家はとても少なくて引用されている方は被害者にも寄り添う発言もあるのでどこから切り取ってきたのか分かりませんが違和感を感じました。

 そもそも除夜の鐘がなぜ今問題になってるの?と思う人が多いと思いますので私の実体験も含めて解説していこうと思います。

 最大の原因は町並みの変化で間違いないと思います。「鐘のあるお寺の風景」こう言われてどういう想像をしたでしょうか?鐘が設置されているお寺というのはかなり広い土地のあって立派な建物があるところに絞られると思います。

 お寺と言っても今は経営に苦しんで狭いところで細々とやっているところも増えています。実際にお寺には全く見えないただの民家がお寺と名乗っているのをみたことがあります。

 広い土地のあるお寺の鐘ならば周辺にある程度の距離がとれていて風流に聴こえる可能性も高いでしょう。しかし実際に今私達の生活で見かけるお寺というのはすぐ隣に民家のある街の中のお寺が大半です。

 お寺のあったところにあとから周辺に家が集まってきた、そして栄えて人口密集地となった。そういうことが多いと思います。また、お寺も経営に苦しんで土地を切り売りしてしまいすぐ隣に民家が入ってくるパターンもあると思います。

 私が檀家となっているお寺も土地を有効活用するために敷地内に保育園があったり月極駐車場があったりマンションが建てられたりしています。

 このような町並みの変化によりかつては遠巻きに聴こえた鐘がダイレクトに衝撃を伴って聴こえてくる家が増えてしまったのは事実としてあると思います。

 年1回のことだから我慢するべきだ!という意見が多かったようですが、あまりに近い距離で長時間鐘の音を浴びることがうるさい以上に身体に深刻なダメージを受けることもあると思います。

 また、前回の記事では鐘の音だけが問題ではなく参拝客の大騒ぎのほうがより深刻な騒音問題として捉えられていました。寺の近くに住んでいるのだから我慢するべきだ!お前のほうが後から住んでいるのだろう!などの意見もあります。伝統も確かに大事ですが人間が蔑ろにされてしまっては本末転倒に感じます。自分は嫌な目にあったないから知ったことではない、という考えの人にはもう何を言っても無駄でしょう。私はそういう人たちに掛ける言葉はありません。

 いちばん大事なのは時代の変化に合わせて解決策をお互いに妥協しながら考えて新しい街を作っていくとこではないでしょうか。なぜなら騒音被害は誰にでも急に発生する可能性の高いものであるからです。あいつのことは知らないあいつも知らないあの場所は住めたものではないから住まないほうが良い、と切り捨てていってしまうことこそ、「生きづらい世の中になった」というやつではないでしょうか。

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