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ツェムリンスキー「抒情交響曲」 1

 ツェムリンスキー本人が出版者宛の手紙に作曲中の作品を評してマーラー「大地の歌」の延長線上にあると書いたこともあって「抒情交響曲」についてなんだかエピゴーネンみたいな厳しい評価もこれまで散見しましたが、ほんとにご自分の耳で聴いて判断しているか疑わしい。ただね、冒頭のモットー的主題がインドというよりは、欧米映画に出てくる中国あるいは西洋からみた日本みたいで安っぽいなあと思う人もいるかも。私自身初めてやっとクレー盤で聴くことがかなったときもそんな印象を持った記憶がありんす。
 けれどその後の音楽の展開はほんとに凄まじい。7つの楽章が切れ目なく続きますが、1から2、4から5の間には小休止があります。その曲調は両極端に振幅し、まさしくベルク「抒情組曲」の先駆。
 1は“遅く(荘重に)”、男声でここにないものへの「憧憬」を歌います。モットーの動機、付点音符のリズムが支配的です。一変して2は“生き生きと”、第一スケルツォでしょうか三連符の伴奏にタータタのリズムで流れるように歌う女声。「憧憬」としても具体的な、より積極的、行動的な内容を歌いますが、続くオーケストラの後奏・間奏的部分ではモットー主題が回帰して女声の主題と対位法的に重ねられて激しく高揚します。歌では排除されたデュエットがオーケストラで実現している。二人が出会った事の暗示でしょうか。
 切れ目なく“du bist mein eigen”のメロディが現れてゆっくりと鎮まり全曲中最も心穏やかな楽章の3である“アダージョ”へ。男声の「愛」。ただしこのメロディにはひねりがあるのでただただ穏やかにはいかない。ベルクに「抒情組曲」で引用されたことばっかり先に有名で、昭和の時代は大元の「抒情交響曲」を実際には耳にすることがなかなか出来なかったんすよ。
 そして切れ目なく謎めいたヴァイオリンソロが4の”遅く”へと導きますが、この展開、迷路に入ったような印象もある。“du bist mein eigen”のメロディが自由に変奏されたように次第にうねうねと上行下降の跳躍も伴う三拍子系でノクターナルな、無調に限りなく近づいた女声による「愛」の唄。管弦楽はこの曲を通じて響きが厚くなる事を避け透明感を維持している。3の暖色に対し4は冷んやり、せっかくの暖かさがここで凍りつくかの様。後半だけ調性が回復して少し色がついてくる。
 小休止の後突然の荒々しい5の“情熱的に、力強く”、冒頭の跳躍上行し下降するモチーフがこの後の三楽章を支配します。分からん人も多いでしょうが007ゴールドフィンガーのテーマ冒頭と似とる。前作のオペラ「こびと」の重要なモチーフと共通でもありツェムリンスキーにとって何か深い意味づけがあるんかも。ともかく、4での悪い予感からここで何かが決定的に起こってしまった、と感じさせる(個人の感想です)。男声が愛の束縛からの解放を訴え、楽章としては第二スケルツォに当たるのでしょう(決してお気楽な音楽ではないですけれど)が全曲中最も短く、なだれ込むように次に。
 6は”とても中庸で”、4の世界をさらに荒涼としたような断片的で強烈な女声のレシタティーヴォが別れを歌い、点描的なオーケストラが空虚な色を添える。全ての音がこれまでの引用によるコラージュのようで表現主義的? 別れを告げる声は激しさを増し遂に後奏・間奏でモットー主題が以前とは異なる痛みを伴うような和声で再現された後、終曲の7、“モルト・アダージョ”へ。
 男声の深い諦念のこもった歌詞で一聴では3のような穏やかな曲調で進んでいきます。しかしそのまま終わるわけはなく後奏で再び鋭い痛みが戻る、不吉で調子はずれのモットー主題が6の時よりもさらに不協和な響きに覆い隠されて(複調ですね)再現されます。
 全てが醜く変容してしまったのか。それとも何もかもが崩壊してしまったというべきか。
 その後は何事もなかったように再び穏やかになって全てが静かに消えていきます。(この項続く)

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